ふわふわした雲が浮かんでいる

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三里塚のカメラ  投稿者:川越の住人  投稿日:10月 1日(水)21時52分33秒
 私は逆の記憶を今も保持しています。
'71年になって、自分ではもうそんなに使わないからと、後輩の木本に貸したらそのまま32年。
奴も東京にいて年に一度くらいは会っているが、そんな話題に触れた事がない....。
かげろう氏の独白を読んで、-すると奴もそんな思いを持っているのか−と。
ほんのかすかな古いとげが溶けた思い。

ところで、
小泉人気や小泉改革に寄せる期待は何でしょう。
自分は「期待できない!」と突っ張っても世論の大勢が支持すればそう流れていく。
 小泉以外に誰もいない、とマスコミは云いますが、そうなんでしょうか。
<追伸>
 平田市長のこと。
ココさんの情報で調べたら、彼はY&H両代議士の支援で『鹿屋体育大学』の誘致に成功した 市長なんですね。

童歌、なつかしいですね  投稿者:ココ  投稿日:10月 1日(水)23時01分56秒
 川越の住人さんが書いていた童歌。
ホントなつかしいです。確かに何かをしながら歌っていたという記憶があるのですが、、。
まりつき?お手玉?なんでしたか。歌詞もしっかり覚えています。
どなたか、お分かりですか?
気になったので、「南洲、、」で検索をしていたら、
面白い掲示板を見つけました。
「南州爺KEN2の画像掲示板」という綺麗な景色や花の写真を貼り付けた掲示板。
鹿児島のローカルな情報が懐かしいです。
たとえば、連休に鹿屋のバラ園に行ってきました。とか。
ミコさん今月鹿屋へ帰るんでしたら、覗いて見られたら?
でももう行く所いっぱいで大変かな。

泊る気でひとり来ませり十三夜  投稿者:かげろう  投稿日:10月 3日(金)01時51分42秒
あっという間に季節はそこはかとなく秋の気配に満ちあふれてきた。
家の外の路地を渡る風にふくいくたる金木犀の香りがただよい出した。
きっとあそこら辺だろうか、時々垣根越しに主を探してみる。恋しあなたの面影を・・・
夕方、いや宵のとば口ではもう姿も確かめられぬ、見上げれば夜空は澄み渡っている。
今年の十三夜は10月8日来週だそうな。陰暦8月十五夜から一月経った後の月。
多摩地方東村山ではこの十三夜の月を愛でる風雅な習わしがあったという。
五穀豊穣を祈り自然への素朴な感謝、我が鹿屋では、十五夜であった。がそれだけでない。
白玉団子に栗・里芋・唐芋・豆・粟(ひえ・米や麦)そしてすすきの穂(枯尾花)を飾る。
後の月に続く十五夜、その夜に中学生以下の子供達主体で綱引きと相撲取り合戦の習わし。
綱引きの図太い綱は夏休み前から日曜毎に野山を駆け登り、子供だけで準備した。
芯にするかずらを切り出し縛って川底に沈めてさらし、苅るカヤは乾燥して束ねて置いた。
家々を皆一緒に挨拶に回り、稲わらの拠出を願い、なければ金銭の寄付をもらい受ける。
すべて青年団に入る前の子供の集団行動で、相撲の賞品もその寄付金の中でまかなわれた。
今ではもうそんな年中行事もすたれてしまったが、昔と同じ月が明るく夜空に浮かぶ。
 夜ばいの風習をさげすみ出した世の中、あの頃の子供達は何処かへ消えた・・?
蕪村の時代、いや本に半世紀前にはこの国は子供も主体的に「世界」を持っていた。
川越の住人さんのレスは、姉たち近所の女の子ども遊び、まりつき歌だ。まりをつきながら、
皆で唱和しおしまいに短いスカートの下腹部を突き出し上手にまりをお尻で受け止める仕種。
小学校では品良く、西洋音階で、文部省唱歌(これさえ今は教えない)を合唱した。
 ロシヤ、野蛮国、クロポトキン、金の玉、負けて逃げるはチャンチャンボ、棒に当れば犬殺し、
シベリヤ鉄道長ければ〜
尻取り歌でもない、西南の役後や日清・日露戦争後の世情を反影?

御返答は男性から。  投稿者:ココ  投稿日:10月 3日(金)08時08分06秒
かげろうさんの知識と記憶に完敗、乾杯!
HPの検索も苦手な者にとっては、恐れ入りましたの一言につきます。
やはり「まりつき歌」でしたか。
明日から 一泊で戸隠です。
そろそろ、紅葉の時期ですね。
そういえば、土俵ができていましたね。子どもたちが作っていたとは知りませんでしたが。

戸隠はわが青春のアルカディア  投稿者:かげろう  投稿日:10月 4日(土)02時31分51秒
牛にひかれて善光寺の長野駅から、バスに揺られて約1時間だったかな?
飯綱を過ぎて戸隠村を素通り、雪深いスキー場は冬場のスキー場へ。
昔の想い出だ。戸隠神社の奥の院が雪の重みで崩れた頃、三十路に手が届く位だった。
京大山岳会出のオーナーの別荘を拠点に、へっぴり腰で日中滑りまくり夜半までアフタースキー。
若い頃は有名なそばなんかも目に入らない、ムードだけが先行した。
鬼すだく戸隠のふもとそばの花、と蕪村の時代にも有名だったらしいが残念しごく。
アイルランド人の変人?が移り住むと言う黒神も近くにあった。
いつか鬼無里村を素通りして北アルプスの麓白馬へ僕の関心は移ってしまったが。
北斎が通った村や、学生時代合宿でスキーもせずただひたすら飲みまくった湯沢温泉村・・

てん、てん、てんまり、てん手まり〜紀州の殿様手がそれて〜と調子は同じだが、勇ましい。
鹿児島らしい俗謡?わらべ歌と言えるか、マリつき歌と断定できないかも。
小学校低学年くらいに記憶が事切れてるのは川越さんの指摘に同じ。
江藤淳の本は出版時、立ち読みぱらぱら読んで、よくこんな歌を拾ってくれたなと感じた。
が『成熟と喪失』を学生時代購入した記憶がある。止めてくれるな、おっ母さん、
と東大駒場はいちょう並木に、キャラメル・ママを健気に拒否して笑われたもんだが。
川端康成、三島由紀夫、現代文学者の中で保守派の論客でもあって家父長制度の没落を指摘。
その意味でも西郷隆盛は彼等には好都合の自滅の有終美を象徴したようである。

三島が自栽し果てたその同じ昭和45年霜月25日正午過ぎ、市ヶ谷自衛隊のすぐ近く、
大学の古びた木造のサークルの部室に僕はいた。曇りがラスにわんわんと騒音がひびいてた。
 馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむる心、と現代きっての天才歌人塚本邦雄は、
三島の処女作『仮面の告白』を読み取り、自衛隊のジェット戦闘機スターファイターに乗って太陽を射た男・三島を評した。『花ざかりの森』では白馬の幻が疾走する。 されど2・26事変でもそうだったが、「天」(=真実=理想)は味方しなかった。
西郷も愛して止まなかった、敬天の理想は汚らわしい現実政治の彼方へくずおれていった。 本棚に三島の『太陽と鉄』が塵に埋もれているが、自己が身を焼かねばならぬ運命、英雄崇拝、
同性愛、いろいろ言われた、ギリシアのシジフォス神、失墜するナルシストめいたイカロス。
西郷の志操と理想、行動も似ていなくはないが。司馬遼太郎の『殉死』を再読してみたい。

「楯の会」と「革マル」と・・・  投稿者:馬グルメ  投稿日:10月 4日(土)16時21分24秒
かげろうさん、時間を見るとAM2:30ですね!
まさかこの時間まで素面ってことはないだろうし、多分しこたま飲ってるんだろうけど、
それにしても良くいろんな事や場所を知ってるねえ・・・・良く覚えてるねえ・・・・

つられて当時を想いだしてみました。
三島の自決があった昭和45年頃、数人の親友の仲に、楯の会Aと革マルBがいた。
Aの部屋には日本刀やOOO(書けない)があって、整然とした雰囲気の中で
割と静かに生きていた。いつも安ウイスキーを飲りながら、国の由来や国体の意味などを
同調しない僕に対し朝まで熱く語っていた。
対照的にBの部屋は空き瓶や雑誌やギターなどで雑然として汚かった。
ここにも良く泊まったが、時には大声で怒鳴りあったりもして、逆に隣から怒鳴られたり・・・。
僕の立場は、この両者のどちらにも与しないものだった。
何故かって云うと、彼らは共に純粋ではあったけどやや独り善がりで、「人間の本質」の
研究が足りないと思えたから。
最終学年を迎えた彼らは、まるで申し合わせたように就職活動を熱心に始めた。
生き方を模索して目標の定まらなかった僕は、彼らの変身ぶりにややあきれてしまった。
やがて偶然にも2人共超一流生保に内定した。
しかし未だ就職活動すらやってなかった僕は、彼らを皮肉ったりなじったりした。
でも彼らは以前のような強い反論をしなかった。
まるで「いちご白書をもう一度」のような、懐かしいちょっと切ない想い出・・・・・・。

江藤淳の「成熟と喪失」は、誰かに強く勧められて読んだ記憶がある。
かげろう君と違い、ただ何となく読んだんであまり覚えていない。
でも彼が奥さんを喪ってから書いた「妻と私」は自ら進んで読んだ。
妻に対する愛情・一人の人間の弱さ・人生の空しさ・・・などが深く記されており、
後日彼が「自殺した」という報にも、その死を悼みつつも、どこかで納得した。
彼については文学界における活動より、以前「行政のサービスが悪いから固定資産税を
払わない」という宣言をした点を評価・支持していた。
そういえばこの顛末はどうなったんだろう?

長い過ぎ、すんもはん!  投稿者:かげろう  投稿日:10月 6日(月)01時11分26秒
ついつい長々と書き連ねてしまいます。酒飲む前に書いたが良いかなあ・・
長ったらしい後に投稿しづらい、と「気後れ」を感じる人もいるとか。自身、気にはしてます。
皆の掲示板を独占してるつもりは毛頭ない、些細な書き込みをもどしどし臆病がらずにやって!
ただ、投稿者が少ない、片寄ってしまう、これは掲示板の宿命かも知れません。

上海帰りのリルじゃない、香港から帰国一報のケリーさん、食べてるのはトーキョー?
そんな風に違和感を持たない様子が面白いですね、比国のサンミゲルビア、軽いタッチ。
寝ても覚めても暑い(余りジメーッとしてない)彼の国では朝から飲めました。

鹿屋市の旧市街のさびれ様は、僕の様ないわば故郷喪失者にとりセンチメンタルの導火線。
本当に「国を憂れう気概」があるならば、鹿児島随一の地価一等地をあんな風にはすまい。
あの桜デパートの廃れた有り様をわが日本の魂の貧弱さの象徴と思っても良い程だ。
僕達は21世紀に生きてあり、されど、あと半世紀末にはことごとく死に絶えるはずだ。
司馬遼太郎はその死の直前まで、この国が私物化された土地に縛られ、腐敗を生むと考えた。

江藤淳の亡くなった妻への愛情から自殺という週刊誌的メディア化には組みしたくはない。
けれども敗戦日本を殆ど先頭切って走った『作家は行動する』知識人の弱さの「支え」を母へ
アナロジー化した愛妻家だった事は確かだ。
我が身の処仕方を良いか悪いかは別にしてきっぱり決断した。
折よくブッシュ政権内にくすぶる疑惑性がテレビで暴露されたが、あの大統領がママのクッキーを
欲しがったというエピソードに象徴される幼児性は保守派知識人の心象の奥深く神がかってさえ
見える。
大衆消費社会化で世紀末現象として、オウムが浸延し新歴史教科書を作る会も同時期「行動」した。
父性(権力)を求め、母の喪失を嘆き代替えとして女性(国家・神)を美化・神聖視してゆく。
眠くなったので唐突に、この辺で。

たまには心温まる社会面の記事を読みたい。  投稿者:川越の住人  投稿日:10月 6日(月)16時17分44秒
* 死体損壊で偽装婚の夫逮捕 千葉の少女殺人事件 -
* 中3男子を強姦で逮捕 女子大学生脅し現金も奪う - 
* ノーヘルで暴走の17歳、警察に追われ衝突死 -
等々、少年犯罪の激増とともに、これらの事件がマスコミの社会面でセンセーショナルに扱われ
ています。
その対策として、主に次の議論が中心になっているようです。
1) 少年法改正、厳罰化
2) 学校教育の改革
3) 家庭や社会環境の改善
たしかに惨くて酷い事件が報道されるし、万引き,暴行などは日常化しているかの印象です。
その理由を一纏めにして戦後教育の誤りに収斂しているようですが、我々が育った戦後教育は
今の時代にどんな惨禍をもたらしたんでしょう。
修正すべきは何なのでしょう。

「川越まつり」に来ませんか?  投稿者:川越の住人  投稿日:10月 7日(火)22時18分06秒
小江戸・川越を代表する「川越まつり」が今年も10月18日(土)〜19日(日)に催されます。
川越祭りの山車は現在29台ありますが、今年はそのうち11台が参加します。
その11台の豪華絢爛な山車が、土日、昼と夜をあわせて6回、小江戸川越の町並みに繰り出します。
川越の情緒を味わうには時期も含めていちばん良い機会だと思いますのでぜひお越し下さい。
祭り見学するからには、当町内の「牛若丸の山車」に参加されることをお薦めします。
その節は川越の住人までご一報ください。

川越まつりを紹介しているホームページはいろいろありますが、簡単な紹介、予定、交通などは
以下のURLがわかりやすそうです。
http://www.kawagoe.com/matsuri2003/index.html

川越のロケが人気らしい  投稿者:ココ  投稿日:10月11日(土)18時20分39秒
川越まつりのHPをのぞきました。
本格的な山車が揃った京都顔負けのお祭りのようですね。
近頃、川越はテレビのロケ地としての露出度が多いそうですが
「小京都」としての町並みも魅力的なのですが、
それはもうすごい人、人なんでしょう??
「京都の紅葉」も、すごい人らしいけど、
どうですか?
まだ計画はたっていないんですが、、、ごめんなさい。

にっぽにあ・にっぽん、月明ニ死ス  投稿者:かげろう  投稿日:10月12日(日)03時29分28秒
この国は一体どこへゆこうとしてるのか、この朝ぼらけ。私はもう長く生き過ぎてしまった。
生まれてこの方、うまし、かぐわしの里山を知る事なく鉄格子に最期の日本人として晒された。
ああ、黄金さす稲田に秋茜が飛んでゆく、夢まぼろしにみた昨日の夕べ。
うつつにぞ幼き頃日、遊びしに。父母もなく楽しくも面白うもなかった只生きていたわづかな日々。
せめて最期の晩餐、あの頃確かに覚えし、どぜうや田螺、小魚のたぐいをついばみたかった。
この淡くうすい紅色の羽がま白なら、五位鷺か青さぎみたく気ままに生きたや知れぬ。
がそれも詮無き事。誰に恨みつらみがあろうや、野生の叫びもなく血の1滴も涸れて老いた。
にっぽにあ・にっぽん、この国の最期の朱鷺。私の名は、きん。野鳥愛好家の金ちゃんに捕まり、
中国の雄に子を産めや囃したてられたが知らぬものは知らぬ、所詮、純粋培養は野生じゃない。
このまま老残をさらす位なら、せめてこの身は死するとも暁、朝日子さすあの青空へ向かって、
風に乗り、鳥のように獣に戻って飛び立ちたい、もう時間はない・・・
  
  日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も(塚本邦雄『日本人霊歌』)
  檻に頬すりつけて火喰鳥見つつつひに空白の出日本記(同、上)
最期の日本の野鳥、絶滅に瀕したレッドデータブックの筆頭、佐渡の朱鷺が「自ら」絶命した。
狭い飼育かごで30数年人間では百才上、どうした訳か朝、頭部を打撲して冷たくなってたらし。
この訃報に接した同日、奇怪な事にこの国の議員らが一斉に解散万歳を叫び嬉々として総立ち。
わが愛するにっぽにあ・にっぽん、ヤポンスキーじぱんぐ、イエロージャップ、滅びるがよい、
一生を人間の手で産まず雌のまま、誰知らず死んだ鳥の「ありてい」はこの国に似てないか。
朱鷺いろさえ既に失った最期の野生の叫び声を聞かなかったか、その孤独の真実を知るや君!
国の真ほろ場、この国人に向かって「痛みを負え」と言う、今又湯水の毎く税金を使う。
『他者の苦痛のまなざし』(スーザン・ソンタグ)を知ろうとせぬ恥知らずが多い事。 
 
 夕焼はさむざむ岩ににじみをりくりぬかれたるわが眼のなみだ (前川佐美雄『白鳳』)
 うまれた日は野も山も深い霞にて母のすがたが見られなかった (同)
日本浪漫派、その血脈を、大和に生まれたが故に正しく受け継いだ歌人を久し振りに思う。
以下6首、全て前川佐美雄歌集『大和』から引用の絶唱、
  思ひ出は孔雀の羽とうちひらき飽くなき貪婪(たんらん)の島にかへらむ
    肉体のおとろふる日もわが夢の濃く虹のごとく輝(て)れよと思ひぬ
     万緑のなかに独(ひとり)のおのれいてうらがなし鳥のゆくみちを思え
       たった一人の母狂はせし夕ぐれをきらきら光る山から飛べり
     父の名も母の名もわすれみな忘れ不適なる石の花とひらけり
  凛々と響きわたれば取りかこむ悲しやなわれも群集(ぐんじゅ)のひとり 

小江戸は酒も昔の日本の名残り  投稿者:かげろう  投稿日:10月12日(日)23時04分43秒
何時だったかなあ、と思う間もなく、去年も川越えには暮れの正月真際、訪ねた。
あてもなくぶらぶらと散策したが、残された伝統の片鱗はうかがえた。
江戸文化の名残りがあるとは言え、さつまいもが特産と言い、何となく親近感はあった。
昔の飲み仲間で、火消しの正統・江戸神輿保存会の悪ガキが居て、関東どこでも出掛けると言う。
肩にかつぎだこと言うか硬いしこりがあり、酒も歌もめっぽう強く上手く、人情厚い。
そんな奴を思い起こした、18日の宵山に神輿担ぎは出来そうに無いが行きたいと思う。
若い頃、秩父の夜祭り別名けんか祭りへ行き、飲み過ぎて連れの女と喧嘩した様なしない様な。
だっきしょ、落花生の煮た(蒸した)のがあって嬉しかった・・・めづらしかった。
落花生、新城(垂水に宮本君がいた)豆、新城では山川豆(錦江湾対岸の町)といい、山川では琉球豆という。
奄美の大島では単にそのもの地豆といい、茎になる方を立ち豆、徳之島天城町にちなみ松原豆とも昔は呼んだらし。
落花生豆腐、白くむっちりだっきしょのコクがあり、鹿屋のほんとお上品さがうかがえる逸品!
何人行けるか知らねどたまには場所を変えて遠出も良いか。
当日、また六本木ヒルズに朝出掛けるが、その足で西武新宿線で特急小江戸号にも乗れる。

TV朝日ドラマ「TRICK」  投稿者:川越の住人  投稿日:10月12日(日)23時37分09秒
 昨日、人並みに?「六本木ヒルズ」を観光に行ってきました。
結局どこの再開発エリアともかわらず、"すごいもんだ"の感想のひとことでした。
で、TV朝日が六本木ヒルズに帰ってきて生まれ変わったとして『新テレアサ誕生祭』なる
イベントにぶつかったんですが、そのひとつに『ニュースステーションのスタジオで記念
写真を!』という企画があり、写真を撮ってもらいました。
実際はブルーの背景、ブルーのテーブルの殺風景な中で写すだけですが、出来上がった写真は
まさに、久米宏らが放映しているバックとそっくりのもの。
「TRICK」の吊り広告でも同じ手法で、出演者の位置を変えた複数の広告写真を掲出しています。
見かけと実体が同じと言い切れない、むしろ違う可能性が高い現代です。みなさん、気をつけましょう。

《川越祭の準備状況です》
 今日は町内に紅白の幕を張りました。また、元町一丁目の会所はお米屋さんちで、市役所の
 交差点から約20mの場所に替わりました。

黄金色の福島の稲田  投稿者:馬グルメ  投稿日:10月14日(火)18時53分03秒
 福島出身の知人に誘われて、安達太良山の麓にある大玉村ってとこに行ってきました。
まさに収穫寸前の稲田はきれいな黄金色に染まり、久々に日本の美しい風景を堪能した。
不順な天候に負けず、たわわに実った(ように見えたけど不作らしい)一面の稲穂を
眺めてたら、何故か胸が熱くなってしまった。
「これを盗む奴は絶対許せん!」などと思いながら・・・・・
温泉旅館で小宴会をやってたら、「村おこしに何か良いアイデアを!」と大玉村村長一行も
加わって大宴会になってしまった。何処でも生き残りに必死になっている。
この村は村長が先頭に立ち様々な工夫をしていて、行政と村民が連帯してる様子に、微力ながら
少しでも協力しようという気にさせられた。
新蕎麦は未だだったけど蕎麦打ちも体験できるし、行ってみる価値はありますよ!

毎年11月中旬に新蕎麦を求めて、福島県の山都町宮古っていうとんでもなく辺鄙な村に行く。
宮古は県道から車のすれ違うことも難しい山道を、ちょうど8km入った場所にある。
なにしろ山道に入って8kmの間、人家はおろか家畜も畑も全くない。
この奥に本当に人が住んでるのか?と心細くなった頃、突然宮古村が現れるんです。
そして驚く事に集落内の34軒のうち15軒が蕎麦やを営んでいる。信じられる?
当然フリー客はゼロ、遠来の予約客だけ。
初めて行ったときは、まるで雲の上のユートピアか、浦島太郎が行った竜宮かと
思いましたよ、イヤホント二!!
こんな場所で商売ができるなんて・・・・・感動しました。しかも流行ってるし・・・・。
もちろん蕎麦も美味いけど、清々しい雰囲気と村人の笑顔が嬉しくて、ずーーーと居たかった。
もし興味のある方がいたら、詳しい情報をお伝えします!

北朝鮮工作船  投稿者:川越の住人  投稿日:10月14日(火)19時48分23秒
 福岡から上京した船が大好きなK氏を案内して船の科学館に行って、゛回収された北朝鮮工作船゜
を見てきました。船のいたる所に貫通している弾痕を目にすると、「戦闘=殺し合い」の非日常
を実感させられます。
そして改めて、戦闘が日常的に繰り返されているイラク,アフガンやパレスチナの国情を怖いと 思います。
自分達が根を張っていた土地に「悪漢退治」と言って勝手に荒らしまわり、食うや食わずに しておいて、
今度はそれを「人道援助」だと言って偉そうに施しを行うどっかの国。
こんな事をされたら、余程広い心を持っていないと施しを行う人間の区別などつかないだろう!

黄金の稲田や麦畑が見れる幸せをしっかり実感したいと思います。

《川越祭の豆知識》
・川越まつりは「山車を曳く」おまつりで、「神輿をかつぐ」ことはしません。
 だから、女性や子供も(お孫さんも)参加できます。
・牛若丸の山車は18,19両日とも会所前から、10:00〜,13:00〜,18:00〜の出発です。
あかあかと・・  投稿者:かげろう  投稿日:10月16日(木)01時54分16秒
 川越の住人様、失礼いたしました。
そう、ついつい酔いっぱりの調子で、祭りと聞くとみこし野郎の事を思い出してしまって。
神田や浅草の様に神社の御神体をみこしに載せて氏子の住まい近在に繰り出すのを・・
そういえば、京都の祇園祭、飛騨高山みたく静かに山車をひく、由緒正しきのも、いや、どっちがどうかは
別にして山車を曵き競い、戦わせる、きらびやかに飾るもあり、お神楽を踊り奉納するだけもあり・・
  
  あかあかと紅葉(もみじ)を焚きぬいにしへは三千の威儀おこなはれけむ(前川佐美雄『天平雲』)

一頃までは仕事が終る毎、紅葉狩りならぬ夜の紅灯の巷にさまよい歩いたことよ!(紅燈)
赤い燈(ひ) 青い燈、ともる街角に〜なんてね。で、この昭和の大歌人の歌をそらんじては自己正当化
してた。この次歌「一生を棒にふりしにあらざれどあな盛んなる紅葉と言はむ」だから尚更だ。
紫綬褒章を受けた博学の天才歌人・塚本邦雄は2句切れ、2句と3句に横たわる断絶を指摘。
みわたせば花も紅葉もなかりけりと歌った古人あり、自己への痛切な反語を思え、されど人生ありき。
「かずかずの逆しまごとも過ぎにけむふり返り紅葉籍(お)きて休めり」に続く次の歌
  ゆく秋のわが身せつなく儚(はかな)くて樹に登りゆさゆさ紅葉(こうえふ)散らす
後年、寺山修司は「林檎の木ゆさぶりやまずわが内の・・」と若き血潮あふれた情念を燃した。
いつしか僕もそんな夢見る頃は去りにしが、恥じる心、はじかみやつましさはいや増す。
 註)この文書き乍ら酒も定量に達した、若い加山勇三がTVで歌ってる〜夕日赤く・・・

川越は見所多い  投稿者:浮游  投稿日:10月16日(木)14時15分09秒
 今、西武鉄道のパンフ駅で貰って見たら、丁度、牛若丸の半纏着た提灯持ちの少女二人。
川越はJRと西武の本川越と駅二つ、元町は氷川神社か川越城の方向?東照宮、五百羅漢に
天神様通りゃんせ(童謡)   古い町並みや時の鐘、更に蘭山美術館他てんこ盛り。
迷うなきっと、どうも半日では時間足りない、住んでる訳でもないから。
土日混雑どっちがええか?
札の辻が目印  投稿者:管理人  投稿日:10月16日(木)21時24分51秒
 浮游さん、川越まつりに来れる駅は4つです。
JR川越駅、東武川越&川越市駅、西武本川越駅。山車はだいたい本川越駅前交差点から札の辻、
市役所交差点の町並みを引き回します。氷川神社も本丸御殿も市役所の先になります。
ちなみに市役所は元町一丁目です。今年は天気が良さそうだから土日とも人出は多そう。
昼過ぎに見えるなら、1時に会所に来て引き回しに参加される事がお奨め。
但し、最低牛若囃連の手拭いが必要なので、事前に管理人までご一報を。
ふるさとはいいなー!  投稿者:八千代のミコ  投稿日:10月16日(木)23時23分02秒
 4日間の宮崎、鹿児島の旅行無事終えました。
初日から雨、霧島はまさしく霧の中!何も見えず。次の日も朝から雨、
知覧平和記念館、武家屋敷を廻る頃は晴れたのに、長崎鼻のフラワーパーク、
池田湖では突風が吹き土砂降り!夜、鹿屋のおばの家に着く頃は台風みたい
でした。本当についてない!かねての行いは良いはずなのに??
祓川を通り、鹿屋中のすぐそばを通る時は懐かしさでいっぱいでした。
セーラー服で通った頃を思い出し胸がキューンとなりました。時間の関係上
残念ながら、鹿屋高校へは行けませんでした。3日目はおてんきも良くなり
宮崎の方へ。生駒高原のコスモスがとても綺麗でした。輝北町のおじの家
の近くの上場公園の天球館からの桜島は最高で、出来上がった写真はまるで
絵葉書のよう!ああ!ふるさとっていいなあとしみじみ思いました。
主人など、手に入れるのがとても難しいと言われているお酒<森伊蔵>を
おじのお陰で2本も手に入れることが出来、大大満足で帰ってきました。
 又、機会があったら是非、鹿屋に行きたいと思います。
川越祭りも一度行って見たいと思っているんですが・・・・・。

帰りたくなりました  投稿者:ココ  投稿日:10月17日(金)07時41分35秒
 ミコさま
雨で大変でしたね。
桜島が見られて良かった!桜島を見たらもう、満足でしょう。
しかも輝北町からの桜島はどんなでしょうか。いろんな角度からどこからみても良いものですよね。
「森伊蔵」まで手に入って、、、、。良かったですね。
私も近いうちに帰りたくなりました。いや焼酎を手に入れるためではないですよ。

旅への誘い  投稿者:蜉游  投稿日:10月17日(金)13時59分33秒
 シャンソンではないがミコさんの報告そぞろ気持ちが沸いてくる。
僕も月末から天文館で旧交を温めて恩師を偲びなど予定。川越祭りに愚息と参加したい、
最近一緒に遊ぶ事もないので。
昼前に着けるかな?管理人様宜しく。

これは165件目の投稿です  投稿者:管理人  投稿日:10月17日(金)23時42分43秒
 投稿は確実に増えていますが,ROMに徹しているひともいるのでは?
皆さんは,あなたの投稿をお待ちしています。
鹿屋高校よさん会で検索できない!  投稿者:かげろう  投稿日:10月18日(土)00時22分56秒
 来週の24日に池水君の赴任先の羽村小学校で「夢広場」の話しがあり、連絡を取り合った。
その折、このホームページ・掲示板を紹介するのに困った。
タイトルではどの検索エンジン、親元のインフォシークでさえも探し当てる事が出来ない。
僕自身、URLを携帯で事務所からやり取りしたので尚更だったが。
つまり正確にパソコンのアドレスで入力しない限り、ここにはたどり着けない事になる。
よさん会は全国2千件以上(ベビーブ−マー世代、考え付く事は似たようなもので)パソコンを持って
いてもキーボードさえ打てない人が何人かいる。ははは、飾りじゃないのよ 涙は〜
そうした御仁達に入門させる意味でも、何とかならんかな管理人さん!その事も明日話し合いたい。
おしゃべり広場をくっ付けてもダメだったから、名称統一あたりかな?
僕の「お気に入り」のタイトルはそうだが、ホームページは違うからかな?

部外者ながら祭の秋を楽しんだ  投稿者:かげろう  投稿日:10月19日(日)01時55分22秒
 いやあ!川越祭に管理人さんのおかげで参加できて、ハッピーな週末だった!
明日、と言っても今日だが、一日目一杯山車の引き回しが行われる、天気も良くなろうし、
お祭りは最高潮に達するのだろうな。
同じ観るなら、踊らにゃ、そん、そんという、祭に昂揚する気分を思い知った。
祭からだけでなく、江戸から続く旧い町並み、重厚な倉造りから受ける活気あふれた商人魂、
そんな伝統を現代とマッチさせようと言う町に住む人達の意気込みもしっかり感じられた。  感謝2!
風邪気味のパソコン狂いの愚息を無理にでも引っ張ってきたかった!意見の相違もあったし。

牛若丸の等身大の人形を三段目に載せた巨大な山車を町内会の皆さんに混じって曵き歩いた。
いまだに祭の喧噪と、ピーヒャラ、ピーヒャラ、テンテケテンテコ、チンチンチンチン、軽快なリズムの
お囃子の音が耳に鳴り響いて止まない。管理人さんが江戸の神田明神を祖型にしていると耳打ち。
来年は皆で揃いの法被(借りられるそうだ)着て楽しもう!(連を抜け出して一杯が効いたかな?)
ただただ目抜き通りを手ぬぐい首に巻いて午から夜10時迄歩いただけ、この心地よい疲れ!
ほんとは今日も駆け付けたいんだが、やる事が残っているので堪えて我慢・・・

掲示板、ホームページの検索問題は、検索エンジン(プロバイダ)に登録してないというだけ。
プライバシーの保護のため、という管理人さんらしい気配りの結果だがみなさんどう考える?
関東三星会がオープンしてるので、そこにリンクする案、独自で、あるいはこのまま・・・
御意見を書き込んでたもれ!

Manifesto  投稿者:管理人  投稿日:10月23日(木)22時57分07秒
 駅頭で民主党のマニフェストを配っていたので、一部もらいました。
36ページからなる公約集で、民主党が政権をとったら果たしてこのうちどのくらいの
約束を達成できるのかな、という盛り沢山の内容です。
たしかにこういった政権党の(達成目標付きの)約束は、結果をフォローする重要な意味
をもっています。
自民党はどうするんでしたっけ?

Manifesto(その2)  投稿者:川越の住人  投稿日:10月24日(金)18時39分19秒
 結局マニフェストと従来の選挙公約では何が違うか。
「努力します。」「可及的速やかに善処します。」という言葉がなくなったことだと思っている ところ。
自民党のマニフェストはないので、Webサイトを見ていたら、「自民党公約、民主党マニフェスト比較」
というサイトが見つかった。(折角の権利を無駄遣いしないために、、、、皆様もいかが?)

http://www.hirake.org/kouyaku/2003syu/comp2/index.html

池水君からの贈り物  投稿者:かげろう  投稿日:10月25日(土)23時58分45秒
 金曜日に池水君との約束を果すべく、羽村市立栄小学校のあこがれ夢広場に参加。
なんか時間配分を上手く出来なく、子供達に済まない気もしたが兎に角無事修了。
人の一生の内、そんな事もあった位で良い、久し振りに小学生の前に立って嬉しかった。
子供の時間は谷を流れゆく水みたいで、返っていたずらに年取った自分が楽しませてもらい、
講師として気持良く受け入れてくれた池水君に感謝。

実は前夜、遠いので御宅に宮田君と共に泊らせてもらった。
息子さんは昨年結婚し、今は同じ教職の可愛い奥様と2人暮らし、いや愛犬がいた。
甘えて夜半迄酒を飲み交わしたが、山あいの豪奢な家であった、うらやましい限り。
池には清水が絶えず流れ込み錦鯉がうごめいて、ラッシーと同じコリーが出迎える・・・
手塩に掛けて育てたうこっ鶏の卵をなんと毎日食べているという!

さて、そんなこんなで、うれしい報告がある。
初秋、北方君の店で彼が希望者に造ると酔った勢いで!約束した陶器の出来具合い。
もう素焼きの段階をなんと、終えているという!
頃合を見計らって最終段階へ入るそうだが、皆さん、送料やら何やら手間が掛かる様だ。
奥多摩は11月中旬には紅葉真っ盛り、ついでに小さい旅のつもりで参集しませんか?
川の水は底まで透きとおり碧の空気は美味しいし、仲間のデザイナーの珈琲家もよし。
近くの河原でバーベキューよし、旅館でくつろぐ事もできる。
予定しておいて下さい、皆さん!
場所は、JR五日市線の武蔵増子駅。横田基地近く、拝島の先。

関東三星会の総会がありました  投稿者:管理人  投稿日:10月27日(月)23時10分32秒
 10月26日、関東三星会総会が代々木の日本青年館で開催されました。
今年の当番年次はS44組で、我々と同じ入学ながら都合で卒業が遅れた日高正仁君が中心になって、
プレイベントでは、現役のガイドさんに故郷案内をしてもらうなど、去年に劣らず頑張って
企画して楽しませてくれました。
ただ残念ながら、よさん会メンバーは池崎・釘田・小原の3氏を合わせて4名でした。
鹿屋からは青山三星会会長が出席し、今年創立80周年になる鹿屋高校の催し(OBによる帰校講座
:10/29予定)や 三星会の寄付を元に実現した旧正門の復元と新しい正門への移行の事業などを
ご紹介くださいました。
(鹿屋高校に行って門を見るチャンスがある人は、感想を聞かせてください。)

あとで総会の模様を撮影した写真を入手できると思いますから、別途掲載したいと思います。

大物鹿児島県人?  投稿者:富士の囲碁好き  投稿日:10月29日(水)20時30分09秒
 解任された藤井総裁は鹿児島県人と聞きましたが皆さん知っていました?
正直あまりいい気分ではなかったのは私だけでしょうか。ただ、石原大臣というのも
思ったほど器は大きくないですね。小泉さんに利用されているでしょう。きっと。
 選挙戦が始まりましたが、鹿児島3区に山中貞則さんが82才で自民党から立候補
していますがこれってどういうことでしょうね。宮沢さんや中曽根さんと何が違うの
かよくわかりません。最近わからないことが多いですね。みなさん!

藤井治芳氏???  投稿者:川越の住人  投稿日:10月29日(水)23時01分23秒
南日本新聞ニュースピックアップ [2003 10/07 07:43]
「私は薩摩人」藤井・道路公団総裁発言 両親が都城出身
−九州への煩悩の表れ?/鹿県関係者
 「私は薩摩人。地位に恋々としない」−。日本道路公団総裁の藤井治芳氏は自らの進退について、
こう応えたという。
同氏の両親が都城市出身。本人は東京生まれながら小、中学校の5年間を都城で過ごしたという。

 「都城は昔の薩摩。彼なりの思いもあって薩摩人と言ったのだろう」。
鹿児島県議会の平瀬新一郎県議は、旧建設省道路局長や事務次官を務めた藤井氏に何度か陳情した。
「東九州自動車道では宮崎や鹿児島のために配慮してくれた。部下にも慕われていたと思う」と述べた。
 川原秀男県議もしばしば陳情した一人。「九州に煩悩を持っている人。
辞表を出さないなど、彼なりに筋を通すという点で『薩摩人』と使ったのでは」と推測する。
 松下忠洋衆院議員は藤井氏と建設省の同期入省組。「道路づくり1本の人。高度経済成長期を
経験しただけに、道路のプロとの意識が強かった。誇りの高さが災いしたのだろうか」と話した。

今日は鹿児島へ  投稿者:蜉游子  投稿日:10月31日(金)06時42分11秒
 亡父の3回忌ついでに鹿児島で旧交を温めてきます。
3年2組時の西君が中心に天文館に場所を設定してくれ数人を呼んでいるらし。
中渡瀬君には空港に迎えに来て貰い、いつもそうだが貴重な足を確保してくれる。
特に今回は国分市の隼人塚石像の撮影、そして担任の亡き橋口先生を訪ねる旅でもある。
一緒に線香と花をたむけたい。ココさんの情報が有難かった。もう空港だ。

関東三星会総会の報告  投稿者:川越の住人  投稿日:11月 1日(土)16時28分57秒
 報告というような大げさなものではありませんが、先輩の(S26卒)大迫さんから写真を頂いたので、
会の雰囲気をお伝えします。
http://hamitodoro.at.infoseek.co.jp/yosan-kai/2003_10_26/sansei.html
参加者の皆さんは、それぞれ世代間で知らない同士ということで、最初はぎくしゃくしていましたが、
懇親会でその差が埋まるようでした。

楽しい報告を待っています  投稿者:ココ  投稿日:11月 1日(土)16時32分45秒
 蜉蝣子さん、鹿児島に帰るんですか?良い友達が待っていてくれるんですね。
橋口先生のお墓参りも私達の分までお願いします。

先日東京の親戚から鹿屋高校の80周年に出席するけど電話をもらったのですが。
(われわれより15才も年上の人)
蜉蝣子さんは参加は間に合わないですね。

高隈周りのバスを利用すると鹿児島市内へは、寄れなかったりするんですが、
国分市で途中下車することはないですね。
帰ったら楽しい報告を待っています。

また再びの田舎にて、その1  投稿者:かげろう  投稿日:11月 5日(水)01時48分53秒
 いつもの深夜便です。
鹿児島〜羽田、スカイマーク航空最終便で先程自宅にたどり着いた。
全日空独占状態にある国内便ドル箱路線(鹿児島羽田線)に風穴を空けつつある新航空会社を応援する意味でも、
皆さん積極的に御利用しまっせ!
スカイマーク(エアドゥも)は空港内でも一番端っこで、羽田も鹿児島も歩かされるが。
ミコさんみたく、天候不順に泣かされる事なく無事5日間の焼酎飲みの旅を終えた。

31〜11/1日は鹿児島から鹿屋、2日法事、3日は鹿屋「かっぱ亭」からパブ「銀パラ」と飲みまくりました。
約束通り、天文館の夜は「十徳家」と「月と6ペンス」でほぼへべれけの状態、桜島港から
垂水航路フェリーで鹿屋へ帰路、しみじみ桜島を観た。

空港から直接国分の隼人塚と熊襲の穴を迎えに来てくれた中渡瀬君と見学。
水量豊かな妙見川の鮎釣りの話に無我夢中、丁重なもてなしに何度も感激し乍ら。
下流の日向山温泉には幕末の非命の維新者、坂本竜馬が新婚旅行に来ている。
腹ごなしに途中の「峠の茶屋」でそば、このそばは本当の手打ち、ぼそぼそ純国分産。

その足で昔の市電沿いに伊敷おはら女の郷、旧恩あった故橋口重一郎先生(享年72才)を訪ねた。
独居の奥様が昔通りに明るくお迎えして下さった。
約半年の病気(脊髄腫?)治療、死ぬ間際まで酒は欠かせぬ薬だったそうで、酔うと家族総出でカラオケに
繰り出したと涙しておられた。
世界史の専攻で、先生担当の日本史にはさほど縁がなかったが卒業時の担任。
御自宅を訪ねる教え子が多くて覚えてなくてご免なさいと奥様、が3時間弱お邪魔した。
秋の日の午後、お互いの年輪に汗ばむ陽気で、従五位勲四等瑞宝章も輝いていた。

夕刻まで間が少し空いたので仮眠を取る間際に2人でちょいビールで、だれやめ!
お後ガよろしい様で続きは又、

また再びの、その2  投稿者:かげろう  投稿日:11月 7日(金)02時27分43秒
 今回のスカイマークでの航空料金は往復2万2千円!驚き、桃の樹さんしょの木。
亡父の命日が11月3日で、訃報をもらった日はそれこそあわてた。
当時は全日空、日航、JASとも往復5万上で兄弟家族7人で約40万円の旅費。
一生に一度しかない儀式ゆえ、みみっちい事は言いたくはないが、アジアの盟主を気取るこの国の
「みみっちい」社会経済システムの破たんの原因を見る事も可能だ。
官僚天国の政治経済システムを脱却しない限り、社会経済の「健全な」発展は困難だ。
あ、横道にそれた、大枚はたいて移動する度に時々余計な事も考えてしまう。
要するに新規事業参入で節約すればするほど、官型独占をより国民主権!へ還元できる。
百年経っても日本は明治維新の西郷と大久保の確執を善くも悪くも乗り越えていない。

今は亡き橋口先生の授業で一番感銘したのは、竜馬が維新政府に参加したら歴史は塗り変えられた、
という無きもがなの言葉。このロマンと現実!
民間企業ならとっくに破たんしてる筈の超債務を抱えて、米ブッシュの世界制覇の野望に乗るか、
アジアの日本が全世界を救う一翼を担うに足るか疑問符だらけ。

さて、天文館の夜は東京とさほど変わらない、ごったがえす人並みがちょっと少ないか?
中渡瀬君宅で仮眠の間に中高と柔道仲間の鳥越君(小学校校長)と連絡が取れ電話で話した。
女子バレー部の背高アタッカー城園さん授業中、小柄セイバー紙屋ひろこさん不在。

2組の中心スーパー太陽の取締役になった垂水の西悦郎君があちこち呼び掛けてくれた。
垂水からフェリーで駆け付けた井上電気社長とアイビー先駆者の安楽君。
着かず離れず常に側に居てくれる1組のダンス上手の千秋!
下駄屋を潰して銀行マンになった静かなる饒舌は相変わらずの萱場強・・・
7時半に十徳家じっとくや天文館店の入口で出会ったのは教師の嫁という川枝みきこ嬢。
店自慢の関さば刺身をつまむ頃来たのは、余裕たっぷり歯医者の瀬口佳子嬢。

たっぷり3時間、焼酎2本空けて近くの中渡瀬君経営の月と6ペンスへそのまま移動。
知る人ぞ知る天文館で一番安く静かに語らって歌い飲める店、三ツ星のバーだ。
仕事を終えて山形屋のナントカ部長の前田君も来た。色白でおだやかなまま肉づいてた。
みんな変わらずの笑顔、又会おうよとお互いの50才台を確かめあった。
東京での度々の会合の話に刺激されたか、鹿児島でもやろうよと意気投合してた。
景気の良い頃はこの店も若い女性が隣に付いたりしてた。よかおごじょがいっぱい・・

また再びの、鹿屋にて  投稿者:かげろう  投稿日:11月 8日(土)01時00分39秒
 天文館の酔いを残したまま、鴨池港のフェリー桟橋へ中渡瀬君に送ってもらった。 安楽道仁君も一緒だ、垂水港から鹿屋へ彼が車で送ってくれると言う。 ちょうど明日は「おはら祭」と言う事で鹿児島市営の満艦飾の花電車に出くわした。 本に幸せよ!こうして何十年も忘れぬ付き合いをしてくれる友が郷里にいる! 故郷わすれがたき、また再びの巡り合い紫煙る桜島もかすむ程に鮮烈に心にしみてくる。 腹が減って来たのでなんか食べて帰ろうと言うので、TVで有名になったラーメン屋へ。 「ら・ぱしゃ」変わった名前も評判の店らしく客足は遠のかない様だ。味はそこそこか? 人の味覚ほどアテにならないものはない、人が並ぶ店で旨いと思った事は滅多に無い。 高校時代のあの太平ラーメン程旨い想い出はもうないかも知れない。 法事の前に、サッカー仲間の上水樽君が訪ねて来てくれた。再婚したてで余裕ないかな。 田舎の最後の夜、「三平」の山下和男君が安楽君と遊ぼうと誘いに来る。 演劇部だった柏木清人君が経営する「かっぱ亭」でひとしきり焼酎談義。 珍品で名高い森伊蔵、伊佐美、魔王を前夜、実は「三平」でしたたか飲み比べてみた。 確かにまろやかさはあるが黒こうじの性で、中味は芋焼酎、鹿屋の酒に同じと言う結論。 ブランド志向の軽薄さか、はたまた南国鹿児島へ尊称か、おかげで大海の「海」も品薄! この15日には新酒が出る、電話予約の森伊蔵はパニック状態。芸術だ爆発さ!  電話:0992ー39ー1111(25日まで) 仕事中の柏木君を誘い4人で対岸のネオンまばゆいパブ「銀パラ」へ繰り出した! 可愛いフィリピンの娘っ子と遊ぼーと行ったに・・しばらくして柏木君の奥さんが駆け付けた。カラオケ大会になり、独身の安楽君のみが・・・・
みんなで晩秋の集いを  投稿者:ココ  投稿日:11月 8日(土)07時02分24秒
 先月の26日は 関東の三星会が開かれたのですが、私は参加しませんでした。
幹事の日高正仁さん、ご苦労様でした。

坂口さんのHpを見ました。なんだか、とても活気がありますね。ガイドさんの鹿屋案内
どうだったのでしょうか。
我が掲示板の 書家、ジョーさんも作品を出品してくれました。
さて、本題です。
今月の15日(土)または 16日(日)の昼間
池水さんのお宅の近隣で、
皆で お昼ごはんをたべながらワイワイしませんか?
まだ池水さんの都合が確定していませんが、
以前、北方さんの「富士美」で集まった時、彼の素晴らしいプレゼントの話があり、
ほぼ完成しているそうなので、それを拝見するというもうひとつの楽しみも
あります。
全部の作品を発送するのもご足労かと思いますし、一石二鳥?
富士美で確約された方々は、率先してご参加をお願いします。
集合は、新宿組と、八王子組にして八王子発 ?時。
八王子駅から五日市へ向かう計画です。
紅葉も楽しめるかと思います。
一泊したい方は申し出てください。
お天気がいい方が楽しい企画にしたいので、両日の日程を確保しました。
無理かなあ。
それとも全天候型がいいですか?
たまには 戸外で開放的にというのも良いですよね。
人数の把握もしなくて良い方法をと もくろんでいるんです。
では皆様のご意見をまっています。
坂口さんごめんなさい。日程が帰省の日とだぶってしまいました。

早速、打診してみたら  投稿者:蜉游子  投稿日:11月 9日(日)00時19分26秒
 池水君に都合の程当たったらオーケー、当日土に陶芸仲間の集まり予定で、それに合流しても
良ければとの返事。
バーベキューも食材揃えから楽しみかな。できれば誰が何を揃えるか担当を決めれば?
費用は会費精算にすればよいし。日曜日でなければ、という希望をどうするか。皆一緒が
良いに越した事はないが。さて・
15日(土曜日)の詳細   投稿者:ココ  投稿日:11月10日(月)23時23分40秒
 よさん会、秋の野外版。「池水さん家で、野外料理を食べよう」が決まりました。
日時 11月15日(土曜日)お昼ご飯 
集合      JR立川駅発  10時13分 頃 乗車
      JR立川 改札口 内側集合
    または 9時 30分頃 新宿集合(だれか まとめて? )
費用  池水さんが食材は購入してくれるので みんなで清算。
    *その他、珍しい食材をもちこんでも 可。
参加者 締め切り   水曜日の夜までに
        掲示板か かげろうさん(男性) ココ(女性)へ
        食材準備のために期日を守ろうね!
ただし、遅くなる人は 申し出てください。遅れてもできるだけ参加してください。
掲示板を見ていない人にも声をかけてあげましょう。

鹿屋高校「よさん会」忘年会のお誘い  投稿者:幹事  投稿日:11月11日(火)23時34分31秒
 急に寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今年も、年賀状の発売が始まり、巷ではクリスマス商戦も始まって、忘年会のご案内
を差し上げる時期となりました。
さて、件名の鹿屋高校「よさん会」忘年会(有志懇談会)を下記により開催いたしま す。
つきましては、皆様お誘い合せご参加下さい。
なお、準備の都合上、参加される方は、メール、fax、携帯電話(090−8962 −2293)
小原へご連絡下さい。
記:・開催日時 平成15年12月13日(土)午後4時より
  ・開催場所 喫茶「富士美」 東急東横線 新丸子駅 電話044−722−4224
         川崎市中原区新丸子町736−4[北方君のお店]
  ・会費 3,000円

また再びの、合併協議会  投稿者:かげろう  投稿日:11月12日(水)01時47分26秒
 鹿屋で会えたもう一人の同級生がいた。うっかり忘れる所、酔っててご免な、杉木秋男君。
夫婦で運転代行の会社をやっていた。寿町だったから、三平から電話したらすぐ現れた。
田舎の夜は早い、夜遅くまで活気があるのはおきまりの鹿屋の飲み屋街くらい。
遠く高山や大根占、垂水から高山から車で飲みに来て、帰りは運転代行で安心帰宅とか。
車社会になって、鹿屋の中心街はさびれたが、飲食街はまだ健在だ。

鹿児島でもう一人電話だけだが会えたのは、国税事務所の内田芳久君。几帳面さは同じ。
何を話したかはもう忘れた、ハハ、笑って誤魔化そう、あい見ての楽しみ。

南日本新聞をリアルタイムで暫く振りに見て、眼に着いたのは合併協議会からの離脱。
特に串良町、隼人町、種子島のエゴ振り。議員定数・中央庁舎をどこに置くかと言った取るに足りない
目先の皮算用がハバを利かせて本来の未来への希望が見えない。
衆院選挙が終って我が鹿屋に最高齢議員が出現したが構造改革の根っこの「構造」意識こそ先ず
変わらねばなるまい。(選挙前でカキコを控えた)
涙を呑んで立候補を降りた貧者ムネオが未だ男らしく、島津の末裔を語るフジイ某の
女々しさに相通じる体たらく。自己保身に走る様になったらオシメエよ!
ちなみに都城・島津は高山・肝属を攻略できなかったからこそ薩摩へ進出した筈だ。
老兵はただ消え去るのみ、この鉄則をひとは先ず尊重ス。その故に彼の功績が輝く。
野に下った中で山形庄内の鶴岡から再選を果した加藤紘がゆくたては気になる。
人の良さは政治家向きでは無いかも知れない、一度中央から落ちたら・・
庄内には西郷さん以下薩摩藩士を寛容に処遇した気風が強いそうだ。

合併の事だった、種子島南北40キロ位の島が先ず庁舎を中種子町にするか北に位する
西之表町かでもめて合併取り止め、徳之島と変わらん泥試合、なじりあい・・・
島唄ブームで南国全体の素晴らしい伝統文化が見直される時期にコップの中が嵐めいて・・

忙しかなあ、と思わんで参加を!  投稿者:かげろう  投稿日:11月13日(木)01時55分15秒
 鹿児島へ帰って、懐かしの友達がうらやましがっていたぞ、東京は仲がええと。ははは
高校の頃は毎日顔を合わせてたのに、月1回くらい顔突き合わせたッていいじゃ無いかな。
ただし、鹿児島も鹿屋の連中も殆どインターネットリスクを背負い、そこに安住してる。
つまり、子供や会社にはIT環境が整ってるのに、もう歳だからネット出来ないと。
引退の歳じゃあるまいし、積極的にわが「老い」の将来へ立ち向かう事が生きる意味ではなかろうか、
人生50年、後30年は死ぬ為の後退戦か新たな旅立ちか?
 旅人と吾が名呼ばれん初しぐれ(芭蕉)

陰暦10月12日芭蕉翁死す。今の季節、昨日の雨は寒かった、時雨忌も疾うに過ぎた。
年寄りにはこたえるが、まだまだくたばるには早すぎる、当時の平均寿命45才くらい?

土曜日の夜に池水君から15人位は集まるかなあ?と聞いて来た。
富士見に集った皆の名前入りの陶器は製作完了。特別に南谷幸ちゃんのも造ったと。
我らの運動会の応援団長を勤めた人柄、自衛隊は緊張(戦闘体制?)バリバリだろうが。

15日、新宿出発組は南口に近い方の中央線ホーム階段寄りに9時半集合。
 携帯090ー6104ー4504 切符は五日市線の武蔵増子駅まで買う事。
往復で安いのもあるかも、12日現在、小原・釘田・宇野の男3人確定。
鹿児島での写真を手みやげに、ワイワイ、やりまっせ!皆さんは何を持って行く?
当日は「森伊蔵」電話注文解禁日。ワールドカップ並に殺到するらし。やるべし!

女性の3人です  投稿者:ココ  投稿日:11月13日(木)07時48分00秒
 あらあら、女性も塚本さん、高橋さん前田の3人しか集まっていません。
またいつもの3人?
ていわれそうだけど、
どなたか ご一緒しませんか?
出水田さんは日曜日まで鹿屋の実家ですって。残念1

日曜日は天気予報では悪そうだけど、紅葉の秋川渓谷を散策できるでしょうか?
スニーカーで参ります。
よろしくね。

あかあかと紅葉を焚きぬ  投稿者:かげろう  投稿日:11月14日(金)01時20分40秒
 歌人前川佐美雄の歌に「あかあかと紅葉を焚きぬいにしへは三千の威儀おこなはれけむ」がある。現代はキャンプファイアーだろうがそんな愛しさ。
そを思うもよし。人生の秋をせつなく楽しむも良い。ああ、ここにも人の生活があると。
紅葉が真っ盛りのこの時季にたまさか旧知と同行できる瞬間を一つ試してみませう!
先程、やはり池水君が電話、市場で最高の良品を仕入れたいから人数を確認してくれと。
彼の自宅から歩いてすぐの所に旅館もあり、当日の行動予定もそれこそミニ旅行。
先ず、竹で飲食器作り(参加心をくすぐる)、昼食、近くをトレッキング、焼きがま体験、なんと乗馬(馬グルメさん、よだれでるかな)もあり、夕食。

小僕が持参の焼酎は、新ブランド(でもないか)になりつつある『海』ハーフボトル。
鹿屋市の純ブランド、ひそやかに、じっくりと、一人で呑むには勿体なか〜と決意。
海上自衛隊の記念品をせしめてきたが、見せるだけにしておくかなあ?(忘年会用に) そして新そばの季節、そば粉を買うのを忘れたので今回はそば打なし、が蕎麦は喰いたし!
山紫水明、御当地蕎麦しか生えぬ不毛の地、そこが旨いンで、奥多摩そば粉もアリンス。
ゴルフ組が「転向」すれば又それもよし、来るのか来ないやら気をもんで夜は更けぬ・・

15日のスケジュールの確認  投稿者:ココ  投稿日:11月14日(金)07時10分49秒
スケジュールの確認
集合 新宿9:30(宇野さん)  立川 10:00(前田)改札内側で・・少し前には来てね
9:32 新宿出発〜立川10:05着
10:13 立川発  〜五日市線  武蔵増戸着 10:37分  
武蔵増戸駅 徒歩15分 
       TELして 車で送ってもらいます。
まず、自分の皿、おはし作り
 マイグラスで乾杯!
12:00 バーベキュー  ・・・海鮮物(市場直送) やさい(自前のもの) 肉物
1:00 腹ごなしの プチハイキング
            弁天山貴志島神社、
            洞窟
            夕日橋        
            日の出乗馬クラブ
            弁天橋
            竹宗土(風流窯:池水さんのアトリエ)
再び バーベキュー続行 ?時  閉会
以上 池水さんが送ってくれたスケジュールです。すごいでしょ!
*なお、寒くなるので、セーターを持ってきてください。靴も考慮。

夕方からは冷えるから風邪に気をつけましょう  投稿者:管理人  投稿日:11月14日(金)13時11分46秒
  明日は池水さんの受入れ準備が万全で素晴らしい企画になりそうですね。
タイトルは参加できない者の僻み(^_^;)ですから、存分に若返って楽しんでください。
ところで、
かげろうさんから「鹿屋高校よさん会で検索できない!」という投稿をいただいていましたが、
管理人も、すこしはリンクできたほうが良いと考えた結果、 
『関東三星会』のホームページ(http://www3.ocn.ne.jp/~san-sei/index.htm)の
リンク一覧に掲載してもらいました。
『関東三星会』は、Googleで検索すると一発でヒットします。
電話などで「よさん会おしゃべり広場」を教えるときは関東三星会から辿るように勧めてください。

管理人さん、ごめんなさい  投稿者:ココ  投稿日:11月14日(金)21時23分34秒
管理人さん 本当にごめんなさいね。
帰省したら、鹿屋高校の様子を写真で見せてください。
学校の周りはとても変わってしまったようですから。
楽しみにしています。
私も一度鹿屋に帰ろうと計画を立てるのですが航空券を買うときに迷ってしまうのです。
前園さんから暮れにはいつも帰るからと聞いてはいても、暮れとお正月は寂しくても
こちらでのんびりしていたいと思ってしまいます。
では、天気が気になりますが、写真の一枚も収めてきますので、
その時はよろしくお願いします。
次は川越の小京都をおばさまたちと計画したいと話しがでていますので、
そちらも情報をよろしく。
もちろん、おいしいお店の情報です。
では少ない人数ですが、行ってきます。

波見より  投稿者:川越の住人  投稿日:11月15日(土)00時49分15秒
 4年ぶりの帰省。妹夫婦の家にやっかいになるのも、帰省というのかな?
だけど時間がゆっくり流れるのは、何ともいえぬ心地ですね。
       魔王の味も良いし、、、
忘年会への約束  投稿者:tosiyuki  投稿日:11月16日(日)23時59分34秒
 前回の集まりで約束した、焼酎「かめしずく」が手に入っていますが、
残念ながら会社の忘年会と重なって小生は参加できません。
誰か近くの人が持っていってくれないかな?最寄の駅まででしたら届けます。
連絡下さい。
 電話;自宅048-772-3823 携帯;090-6016-7758
『三平』で「森伊蔵」を飲ませてもらいました  投稿者:川越の住人  投稿日:11月17日(月)22時12分50秒
 15日(土)は、地元・波見で中学の同級生達数人が「飲んかた」を段取りしてくれました。
焼酎は「小鹿」中心。肴は、なかのひとりがその日に獲ってきた「カンパチ」などの魚と、
「黒みな」や「よだいべ」などの貝が山盛りでした。
16日(日)の昼間は、鹿屋に出て出張目的の仕事をしました。
4時過ぎに、鹿屋高の80周年記念パーティもあったらしい大黒グランドホテルにチェックインした後、
かげろうさんの強いお薦めがあったので『三平』へ行くことにしました。
携帯を教えてもらっていたのですが、
昔はそう親しい関係でもなかったので直接店に行って待つことにしました。
日曜なのに『三平』は早いうちからなかなかの賑わいでした。
店の人に聞くと、もうすぐ来ますとのことだったので1時間ほど独りで飲んでいました。
そのうち山下さんが元気な声で出勤してきて、店のお客も更にいっそう盛り上がりました。
昔のキャラクターがそのままにお客さんを楽しませているんですね。
私も30年ぶりの対面をすませて何分も経たずに仲間になっていました。
「妹の家では魔王だけ飲んで、森伊蔵は飲まなかった」というと、
「森伊蔵、魔王を飲ん比べんといかん」と言って2つとも注いでくれました。
昨晩の午前様の影響もあって、11時前にはかなりきて引き上げさせてもらいましたが、
たいへん楽しい想い出が出来ました。
小原さんには『三平』から夜分に突然の電話をしてしまいました。ごめんなさい。

ふっ、ふっ、ふっ、よか日で!  投稿者:かげろう  投稿日:11月18日(火)00時02分59秒
雨女がいるかと(失礼)、がまずまずの天気で紅葉まぢかの秋川渓谷近くで呑みまくった。
時計を気にするココさんや二日酔いのままのシゲさんやら、皆にこにこで楽しい週末。
乗馬や蕎麦食いはできなかったが、近くの弁天山登りやバーベキューも子供の様に・・・
四国の四万十で良い思いをして来たばかりの釘田君も美女に囲まれて結局泊るはめに。
「百年の孤独」を持って来た小原君も、自作のアップルクッキーを焼いて来た祥子さん、
奥様へとお土産を買って来てくれたミコさん、良か一日でごじゃった!
まあ珍客にかき回されたりもしたが、優しい池水君の奥様の冷静な人柄のおかげさあで!
池水君の気配りも相当な事だったでせう!御夫妻に感謝、ありがとう。

奇麗な空気と水と人情、しっかりと自分の名前入りの作品を戴いて帰路に着きました。
管理人さんもすっかりいい日を送った様で。(内之浦の海の幸は良かもんなあ)
タイムレスでこんなに良い話ばっかり聞かされて今週は良か良かで過ごせますわい。

人生はかくも過ぎ行き、かくありなん常に思いし、たまには休息、思いのたけ味わえた。
(しかし、いくら電話しても森伊蔵は返事してくれない、さすが人気者!)

奥様に感謝!  投稿者:ココ  投稿日:11月18日(火)00時44分40秒
  かげろうさん、さすが、うまい形容。気配り上手で、、、。さすがですね。
報告どうり、池水ご夫妻に感謝!。マイカップで飲むお酒はうまかった。いやおいしかった。でした。
本当にお世話になりました。
直接パソコンに入力してくれたTOSHIYUKI氏もできあがっていた(?)
のですが、奥様のノートパソコンとよさん会が無事つながったのでした。
だんなさまに代わって、「カキコ」お願いします。
山梨出身の奥さまは99%は鹿児島弁がわかると最初言っていたのが、
わたしたちが乗り乗りの鹿児島弁のせいで ちょっとパーセンデージがダウンしたようでした。

「三平」くん、
お菓子やさんと、昔のバンドの「三平」しか記憶にないので、
予想はできるものの、なつかしいですね。お店が繁盛しているようでホットしました。
魔王と森伊蔵の飲みくらべとは、最高の「飲ん方」でしたね。

あばてんね  投稿者:川越の住人  投稿日:11月20日(木)18時09分20秒
このあいだから語源と正確な意味が気になって。自分流で良いから、誰か解釈して。

わっぜえ、むっかしこつ考えっしもた  投稿者:かげろう  投稿日:11月23日(日)01時21分32秒
あばてんねひっこ、ほんのこちわっぜえ〜っ!まこちどっさい!
管理人さん、一体どげんしやったな、もし、突然高山に帰って沢山の忘れかけた宝物を
(それこそ乙姫様の玉手箱じゃ)戴いたんだろうなア?
発想がとても豊かになった様に思われてつい笑い乍ら、あれ、じゃあ、いけんじゃったけえ?
と考え込んでしまいもした。
おどんも、かごっま、ひさっかたぶい、もどっせえ、わっぜエ、それこそ『あばてんね』うれしかったと。
デジタル・デバイドを嘆いても始まらないが、確認したくて「鹿児島方言」で検索した。
その内、あるサイトに九州各地で使われる「あばかん、あばきがとれん」と同意で、
『あば』は漁網を浮かすための樽、『けんね』は、はけない、はくの意。
「それほど沢山の」といった形容らしい。(九州方言辞典)
あばきがとれんの「あばく」は発(あば)く、余るを表し、『あばてん』は、その「あばかん」と
同様の、否定形で、納得がいきそう・・・

「大隅肝属方言」と言う分類を目にした。
先のフジイの発言の遠い御先祖様の記憶に、図らずも島津のルーツは今の鹿児島県でなく、
宮崎県の南諸方(もろかた)郡・都城市が浮かび上がった。(管理人さんのカキコも参照)
島津が今の鹿児島県・南九州を支配下に置くはるか以前に、大隅や薩摩には発展した文化圏が存在した訳で、
「方言」も南方の沖縄・奄美群島系や肥後熊本系が流入してたはず。
「あばてんね」のあば=樽からすればこれは浜言葉で、海伝いに漁労の民は九州一円に広く
活躍したろう事は容易に想像できる。
輪にしても「手に余る」勢い=わっぜえ!と農耕民のあらわな驚きが結びついても何の違和感も不思議もない。ナンちゃって!
よさん会「秋の野外版」  投稿者:管理人  投稿日:11月23日(日)22時11分25秒
『よさん会「秋の野外版」』を掲載しました。
http://hamitodoro.at.infoseek.co.jp/yosan-kai/2003_11_15/031115akikawa.html
三平  投稿者:川越の住人  投稿日:11月24日(月)17時05分50秒
11/15,16に仕事絡みで帰省して、1年分のかごっま弁を使ってきました。
故郷では何の違和感もなく喋ってきたのに、東京に戻ってくると頭の中も標準語で
考えるのか、かごっま弁のちゃんとした言い回しができなくなってしまいます。
鹿児島から羽田に向かう飛行機の中で、『あばてんね』と『いっぺこっぺ』の違いを
「いっぺこっぺ」考えていたら、1週間頭にこびりついてしまいました。
かげろうさん、ありがとさん。
小原さんもココさんも懐かしいという三平くんと一緒の写真を掲載しました。
http://hamitodoro.at.infoseek.co.jp/yosan-kai/2003_11_16/031116kanoya.html

好日、よか秋で  投稿者:かげろう  投稿日:11月24日(月)23時37分55秒
ついつい遅れてしまいました。
今週中に私めのかごッまの旧知のなごみの顔を掲載してもらいます!
おそらく、これで関東と九州と本家鹿児島や鹿屋が「よさん会」で一応連結するでせう!
僕らの美しい十代の絆が「還暦」に突入する前段階として。
死ぬまで一緒よ!人生だよ!
13日の富士美の参加は?  投稿者:ココ  投稿日:11月29日(土)08時42分55秒
もう、あさってからは 12月。早い一年でした。
みなさんは、どんな師走をおくりますか?
忘年会はどのくらい、計画がありますか?
ところで、13日(土)IN 富士美 の参加者は どんなぐあいでしょうか。
私は 前回 中途参加したので、今回はちゃんと交流しようかと思っています。

13日の回答状況  投稿者:幹事  投稿日:12月 2日(火)00時06分19秒
今年も早いもので、まごまごしている内に師走に突入してしまいました。
13日のよさん会忘年会の回答状況は、忘年会シーズンの所為か、欠席の回答が多く
現在のところ十名足らずの出席予定です。
不景気で忘年会は減りそうなものですが、反対に忘れたいことが多いのか増加傾向です。
小生は今週から始まり、今週は2回あります。12月中の金曜日は、全て忘年会の予定があります。
12日の忘年会は、13日に備えて?お酒はほどほどにしたいと思っています。
年末ご多忙の折柄、皆様、お身体ご自愛ご活躍をお祈り申し上げます。
楽しいお酒にしたいですね  投稿者:ココ  投稿日:12月 2日(火)19時23分57秒
十名たらずとは、さびしいですねえ。
肝心なことは忘れやすく、年のせいにしてしまっていますが。
職場では一番若いので理由にならないんです。
でもいやなことは今年のうちに忘れてしまいたい。
うちの最寄駅は、食の町などといっているわりには美味しいお店がないのですが、
子どもの同級生のお母さんで同じマンションの人と飲み会をします。
とにかく、楽しいお酒にしたいですね。

名入り陶製ビアタンブラー  投稿者:蜉游子  投稿日:12月 3日(水)21時13分30秒
先程、池水君から先約があり不参加と聞きました。
先般の出席者の名前入りの器が受取人来たらずのまま「放置」状態、勿論丁寧に鎮座してましたが。
折角だから北方君に送りたいそうだ、幹事さん池水君へ連絡されたし。送付先不明らし。
けせん酒を持って、、、  投稿者:川越の住人  投稿日:12月 4日(木)17時56分5秒
先だっての帰省の土産に「けせん」(波見では「けしん」とも云う)を漬込んだ焼酎を貰って
きました。少し残っていて、お猪口で10杯位はあるので忘年会に持参します。
参加者に昔懐かしいニッキの味と香りを楽しんでもらおう。
田舎では、他にもトロピカルな「やまもも」酒や、精のつく「くま蜂」酒も味わいましたが、
懐かしさは甘ったるい「けせん酒」が一番でした。
けせんの根っこをかじっていた記憶のあるひとは多いと思いますが、憶えていますか?
肉桂酒  投稿者:蜉游子  投稿日:12月 6日(土)09時35分59秒
小学生時分ですな、あの頃は今にして思えば何もかもが随分と素朴で純、
真っ黒な牛の居る百姓家の庭屋敷の大きなけしんの樹を思う。
樹皮やり根っこがニッキらしく充分辛いから、何度も掘り繰り返されてた。
葉っぱはけせん団子の包み香り付けに毒消しかなぁ、漢字は肉桂。樟脳と同属。
そう言えば南方ジャワ原産とかインドシナ?系植物と共に海の道を辿り北上した
原日本人がいたかも知れぬ。
凄く懐かしい味と香り、月桂樹もハーブ、シナモン紅茶を思え。
桂皮油は漢方薬にも、けせんじょつ酒は承前。楽しみだなー。
Mr.UNOと鹿児島の仲間たち  投稿者:管理人  投稿日:12月 6日(土)11時37分24秒
だいぶ時間がかかって写真が届いたのでアルバムを掲載します。
蜉游子さん、仕事で忙しそうですなぁ。身体に気をつけて。
http://hamitodoro.at.infoseek.co.jp/yosan-kai/2003_11_01/uno.html
ところで、吾が輩のスキャナーがだいぶいかれてきたようで、鮮明なスキャンが出来なくなりました。
しかし まあ 表情はわかるからこらえてください。
ルーピン  投稿者:成増  投稿日:12月11日(木)00時39分21秒
よさん会の葉書でここにたどりつきました。
鹿屋高校の時分、高山の海岸(多分はみ?の海岸)で春、黄色い花がいっぱい
咲き誇っていた様子を思い出し懐かしくつい投稿することにしました。
この黄色い花はルーピンといったと名だったと思いますが詳しくは覚えていません。
しかしあたり一面黄色い花いっぱいで今でも心の片隅にその景色が残っています。
もう一度その景色をみたいという思いはありますが、志布志湾の海岸はどうなっているのでしょうか。
今回の「富士美」のよさん会には是非行きたいと思います。都合つき次第連絡します。
それでは
本籍は波見  投稿者:管理人  投稿日:12月11日(木)16時26分26秒
黄色いルーピン畑が広がっていたのは、肝属川をはさんだ波見の対岸・柏原海岸でした。
70年代になって「油断」対策で石油備蓄計画が発表され、開発と自然保護で住民をまっぷたつに
したのも今は昔。
不思議なもので、今では備蓄基地を囲む護岸が海の幸の棲み家になっている事を聞きます。
昔ほどではないが、ルーピン畑も観光資源として残っているようです。
13日、参加したかったけど・・・・  投稿者:馬グルメ  投稿日:12月11日(木)18時06分16秒
普段でも慌しい歳の瀬なのに、今年は13日〜23日ブラジル、27日〜鹿屋、という強行
スケジュールになってしまいました。
その為、忘年と称する飲み会が連チャン、合間をぬって人間ドックへいったら、開口一番
「もうちょっと肝臓をいたわれませんか!!」なーんて云われ、でも止められないしなあ・・・

ブラジルの件で霞ヶ関としょっちゅう遣り合っていますが、何せ相手は能面の如き無表情な
顔で建前論を繰り返すだけで、今では怒りを越してあきれ返っています。
それにしてもこの国の「政と官」の危機感の乏しさ・変化への抵抗は・・・これでいいのかなあ?
マルナゲ・サキオクリ・スローガンダケクリカエシ・・・漸く決断した事はジエイタイハケン。
先週某忘年会でアベシンゾー氏の席と近かったので、酔った勢いでいろいろ言ったんですが、
その帰り道が空しかったこと!!
今やもう政治には期待しないけど、「せめて邪魔はしないでくれ!」って云いたい!!

そんなことで13日は楽しみにしてましたが、残念ながら参加できません。
OO君とOOさんはワル酔いして(笑)またまた盛り上がるんだろうなあ・・・
新年に何か企画があったら、是非よろしく!
Who ?  投稿者:富士見より  投稿日:12月13日(土)18時58分6秒
成増さん、9人だけの忘年会で盛り上がっています。
成増さんが来ていないので、イマイチですが。
メールで参加???  投稿者:成増  投稿日:12月13日(土)19時10分23秒
仕事とはいえ残念です。
最近家で焼酎を少々たしなむようになり富士見では飲むぞと一人いきこんでいただけに無念。
次回は必ずや万難を排してイラクいや予算会?にいくことにしました。
忘年会の写真楽しみにしています。
 鹿屋高校時代は山あり川あり海あり友ありで本当に懐かしい時代です。
それでは
誰?  投稿者:富士見より  投稿日:12月13日(土)22時13分1秒
葉書を出した幹事が、成増さんはイメージできないようです。
プロフィールガ欲しいようだよ。
宜しく。
住所でわかると思った  投稿者:成増  投稿日:12月13日(土)23時22分25秒
  住所でわかると思ったので、失礼しました。
高校入学時鹿屋から志布志に親父の転勤で移動し、当時まだ走っていた
国鉄の蒸気機関車で通学していた竹下です。今後ともよろしく。
福岡の村上君の懐かしい写真をここで拝見し懐かしくかつ管理人さんに感謝!!!
成増さんへ  投稿者:ココ  投稿日:12月14日(日)00時14分32秒
  「成増」にかつて住んでいた私。
和光市も近いと知っていた私。
しかし、誰だろう?と今日のよさん会で大いに話題にさせてもらいました。
女性だと思った人もいたようで、期待感いっぱいのみんなでした。
とうとう現れなかったけど。
マルハの竹下さんですよね。福岡でも村上くんが懐かしがっていましたよ。
以前、東京で出会ったような記憶がありますが、、、。
ちなみに、私は御園1丁目に住んでいました。わかりますか?
和光市はすぐでしたよ。
(無題)  投稿者:八千代のミコ  投稿日:12月14日(日)22時12分52秒
忘年会参加できず、本当に残念でした!
新年会は参加出来るかな?でも聞くところによると3日とか?
だと無理かなあー?
 今日前田さんと銀座でランチしてブラブラしてたらTBSの
某番組のリポーターにつかまり、いきなりインタビユーされました。
もしや、おばさんタレントとしてデビユーかも???
ミーハーな私はついついリポーターのたくみな言葉に乗せられ、
魔法にかかったようにペラペラと〜。あー、どうしよう!
今になって、カットされる事を祈りつつ、後悔の念に打ちひしがれています。
たぶんカットですよね!放送日も番組名も誰にも言わないでおこう!!
はらはらドキドキの一日でした。
では皆さん、よいお年をお迎えください。
銀座でのハプニング  投稿者:ココ  投稿日:12月15日(月)00時06分17秒
富士美ではお世話になりました。
とても人数が少なくて、メール見てない組にお葉書までかいてくれた幹事さんや
たくさん料理を作ってくれた、北方さんありがとうございました。
Aさんが初めて参加してくれたので私はとても楽しい会話になったと思いました。

さて、連日のお出かけ先の銀座で、インタビューされたんですが、ミコのおばさん振りが、
果たしてどの程度、放送されるのか、仕事でチェックできないけど、
どんな風に編集されるのか興味あるなあ。
それにしてもインタビューしていた女性、必死で話に乗せようとがんばっていましたが、、、。
小春日和の忘年会、穏やかで  投稿者:かげろう  投稿日:12月15日(月)01時25分41秒
年の瀬を控えて多くの皆さん所用があった様で、わずか8人が「富士見」に参集。
川越の坂口さん、遠く茨城守屋の日高さん、多摩川沿いに一番近い南谷さんが時間通り集まっていた。
マスターはお馴染みの北方君、相変わらず手料理ずくめ。
新丸子駅から歩いて来た池崎さんに「行っど!」と声かけられあわてて合流した。
7ー11で喉の乾きを癒してたらミコさん「行けなくて残念・・」の電話を受けた直後。
常連筆頭株の馬グルメさんは先のカキコ通り念願のブラジル行、仕事が忙しそう。
仕事といえば、品川のジョーさんも。練馬の児島さんも会社で仕事中の電話。
品川の土谷(新名)さんからは年来の北海道から上京中の友人と忘年会で来れないと・・
プロカメラマンのシゲさんは急に撮影の仕事が入ったとか。
大田区のビレイさんは御母堂の看病とかで田舎へ帰省されたとか。
上尾の帖佐さんは早くから会社の忘年会と重なってるとカキコ。
あ、焼酎は本人と一緒に参加すべし、楽しみも一塩。腐るもんじゃなかでな。
焼酎持参といえば、日高さんの差し入れ「一本議」は、甘口の軽さが青い一升瓶にあってつい飲み過ぎた。
「海」の青さと同じで冷やで飲み通し良か味でした。
チョイ遅れたのが相模のココさん、なんで哲也すぐ近くなのに誘わんとお?と
皆に不思議がられてた。鹿屋の女房けい子さんを気にしてるか茶々入れられたり。ははは
ほぼ1時間、もうお開きにするか?と揶揄される位遅れたのが幹事の小原さん。
連チャンの酒浸りで疲れ気味は池崎君も同じらしく、馬さん共々肝臓をいたわれや!
そして銀座以来久しぶり御対面は横浜から坪水さん。懐かしい醤油の香り?しないって!
なんと高校時代と体重はさほど変わらぬとか、真っ黒な目ん玉もそのままで・・
まあ、こんな顔触れで、今年最後のよさん会、それなりに楽しいなごみの一時でした。
新顔の筈の「成増」さんは次回を期待しましょう、カキコに参加おおいに嬉しい限り!

ミコさ〜ん、まだまだ年忘れには半月はありますよ!
しっかり銀ブラしてられるな、何ていう番組?まさか安住キャスじゃあぁ無いなあ・・
僕なんか、乳癌ターミナルケアを自宅でやってる気丈な老女の、新年もへった暮れも無い
唯今限りの命のケアに付いてるので、正月は彼女の癌にただれたおっぱい次第。
30数年昔、『乳房喪失』で華々しく歌壇に登場して消えた中城ふみ子は若かった。
だが生き過ぎた!と言う彼女は一人健気に教会で自分の葬儀を終え、
決然と自分の「死」を天国への階段ととらえ、この世の終の棲み家を自宅で静かに過ごしたいと話す。

クリスマスの六本木辺りとか丸の内のライトアップはどうですか?
浅草には顔出さねばならないうなぎ屋がある。まるで区切りが付かないな。
新年会は日高君が京王幡ヶ谷の黒豚料理の店で4日午後にどうかと提案してました。
既に馬さん、小原さん達と味見して来たとか・・・
でも参加できない方々も又おられるでせうが、小津安次郎生誕百年、好日はぼちぼちと・・

 追記)僕が受け取った今年の鹿屋高校関係の欠礼葉書は4通。
八千代の塚本美代子さん(義父?)船橋の入江昇さんと鹿児島の西悦朗さん(いずれも父君)
鹿屋の山下和男さん(母上)ここに追記して、御冥福をお祈り申し上げます。合掌
ボウリング  投稿者:川越の住人  投稿日:12月15日(月)18時37分46秒
昨日、息子から「会社でボウリング大会があるけどやったことがないから」と云うことで、
10年振り(それ以上かも)に家内を含めてボウリングに行きました。
狭山にあるボウリング場に行ったんですが、64レーンのそこは満杯で、約1時間待ちをしました。
……(流行っているんですね、ボウリングも。)
  おかげで、変な投げ方をして、今日は左のおしりの付近が痛い。
忘年会の雰囲気を、、、  投稿者:管理人  投稿日:12月17日(水)22時26分57秒
幹事の小原さんから記念写真が届きました。
http://hamitodoro.at.infoseek.co.jp/yosan-kai/2003_12_13/bounenkai.html
参加できなかったみなさん、こんな雰囲気でした。
忘れてた  投稿者:蜉游子  投稿日:12月18日(木)07時29分26秒
管理人さんにわざわざ志布志の友人の手作り「けせんじょつ」を持参して貰った。
焼酎のシナモン漬だ。
まろやかな味と良い香り、肉桂ニッキ桂皮がふんだんになければ到底てきない。
故郷のご友人の心使いがじんわり思い出されて何とも温かい、おおきに!お礼言うの忘れてた。
ボケついでに恥晒すと北方君に坪水さんの携帯アド貰ったが通じない。
きっと文字ミス、その内に確認しなきゃ。おそまつ君−−−(涙)
忘年会の写真 懐かしい顔  投稿者:成増  投稿日:12月20日(土)09時10分54秒
忘年会の写真楽しく見させてもらいました。
懐かしい顔でしたが風雪を感じるほどおじさんになったものだと、
しみじみ鏡を見ながら見比べました。次回はぜひ参加します。
ケセンはがきのころの楽しみで山のなかの宝で秘密の場所でした。
しかしその山は開発され今は住宅地になっています。
クリスマス・イヴ  投稿者:蜉游子  投稿日:12月24日(水)21時03分23秒
神様を信仰する程清い心は持たねど、今日、社長の心づくし、セブン11のケエキ。
3年振りに帰宅中ぶら下げてる。
皆さんの今宵は如何ですか?
先週、都下の東村山では晴れてるのにいきなり山側上空の灰色雲からアラレちゃんが!寒くなった!
昔から京都同志社大ではイヴ祭がこの日に開催。
底冷えする比叡おろしがちと思いおこさる。
ツィンクル、ツィンクル、リトル幸せケエキ、かなあ?
新市名「薩摩川内市」に、  投稿者:川越の住人  投稿日:12月24日(水)23時50分47秒
  「川薩地区法定合併協議会(川内市など9自治体。会長・森卓朗川内市長)の
  第12回協議会が24日、川内市のホテルであり、新市名称を「薩摩川内市」とする
  など、46の協定項目すべての審議を終了した。今後は来年2月19日の合併協定
  書調印を経て、10月12日の新市立ち上げとなる。
こんな記事がありました。合併されるのは、川内市、樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、
里村、上甑村、下甑村、鹿島村という町や村だそうです。

みなさんは、我が川越市に隣接する「さいたま市」なら大体大宮と浦和を含むあたりと
想像できるだろうけど、今年できた南アルプス市ならどうでしょう。
「薩摩川内市」も川内だったらわかるけど、甑島や祁答院まで含むと地理的には訳がわからなくなります。
大隅半島もそうなるのは避けられないんですが、地域のアイデンティティーは残って
欲しいものだと思います。しかし、果たして???
関連URLは
http://373news.com/2000picup/picup_gappei.htm

私の出生地です  投稿者:joe  投稿日:12月25日(木)10時15分35秒
川内は私の出生地です。 川内川が氾濫した夜に生まれたということです。
生まれて小学校に上がる直前の3月までいました。
あまり記憶はないのですが、川内川の水泳大会や十五夜の大綱引き、お祇園さあなどは断片的に覚えています。
確かに奥州仙台とよく間違われますが薩摩川内とはあまり美しい名前ではないですね。
川内をせんだいと読める人は  投稿者:かげろう  投稿日:12月27日(土)01時19分48秒
鹿児島県最大の1級河川、川内川の地は古代には薩摩の国府が置かれる程豊かな地であった。
仙台、千代、千台とも度々表記されたのはその読み方ゆえであろう。
千台、川台が一番古いかも。恐らく河岸段丘の台地に展開した。台という姓もあるらし。
鹿児島弁で「せんで」、川を「せん」と漢音を使う江戸時代に内「だい」を境内・内裏と
同じ様に使ったらしい。薩摩国分寺の名残りか?
軍艦・軽巡洋艦名に帝国海軍、海上自衛隊の護衛艦、海上保安庁巡視船と各々有名だ。
軽巡せんだいは4本煙突のスマートなシルエットで、特に搭載の夜間偵察機も2枚翼乍ら、
宮崎ジブリアニメ『紅の豚』の戦闘艇にどこか似ている。
東シナ海に撃沈された英海軍の巨大戦艦プリンス・オブ・ウェールズ偵察任務で有名。
ちなみに鹿屋航空隊からは、空飛ぶ葉巻きと揶揄される双発の一式陸攻が発進爆撃した。
戦前にわが祖父は川内川流域を測量、母が生まれた地、よく話に出て来たので馴染みがあるが、
鹿屋に居着いてついぞ再訪してない。
学生時代にこの川内出身の友人が独り、何故か故郷の因習を嫌い、
実家に寄らず僕の不在にもかかわらず訪ねて泊った事もあった。佐多岬に行きたかったと。
母は目を細めて良く話す、川内は(歴史が)古くて鹿屋と同じ位大きい町、川もよく氾濫した
・・青春時代・奄美大島の高等女学校の友の消息が気になる様だ。
置き引き・スリに気をつけましょう!  投稿者:川越の住人  投稿日:12月29日(月)22時53分52秒
夕方、自転車(ママチャリ)で買物に行ってた家内が「置き引きにあって腹立つ」とぷりぷりして 帰ってきた。
聞くと、買物をすませて帰る途中にちょっと注意を引いた店があったので、自転車をおいて
2,3分店先を覗いていたら、買い物篭に入れていたレジ袋のひとつがなくなっていたという。
『250円のDONQのパンや奮発したおつまみが入っていて2000円位の被害よ!!』
食品売り場であれこれ検討した末に決断を下して帰る途中にその成果の一部を置き引きにあった
のだから、その憤慨と落胆はひとしおのようである。

年も押し詰まって慌しい中、皆さんは『世の中、食うに困っている人もいるんだから』と鷹揚に
構えないで、置き引きやスリにはくれぐれも気をつけましょう。


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