ふわふわした雲が浮かんでいる

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いのちの初夜 投稿者:蜉蝣子 投稿日: 7月 3日(日)02時17分28秒
星塚敬愛園70年ですか、戦後60年という節目、唯一の米軍地上戦を被った沖 縄で慰霊の模様がTVで映し出された。天皇皇后夫妻が初めて海外サイパンに慰霊の旅行(僥倖と地元 では歓待された)されたのは特筆もの。(お二人は沖縄の慰霊の際に火炎瓶を投げ付けられた)同月、 皇居の参賀時パチンコ玉を天皇に投げ付けた元陸軍軍人の山崎健三がひっそりと亡くなっている。
清瀬市・東村山市内、野火止め用水の武蔵野の一角での栗の樹の生い茂る地に続くハンセン病施設は全 生園:ぜんしょうえん。こんもりとケヤキやぶな等の緑色がその広大な敷地に映える。
自ら「癩病」に犯されて、結核と同じ様に不治の病という絶望感にさいなまれながら冷厳なまでに生き る光を見つめようとした作家・北條民雄がその全生園で書き上げた短編が『いのちの初夜』だ。
駅を降りてこの全生園へ孤独に向かってゆく場面から小説は映画的にしかし内面的にスタートする。ス ローに移動してゆく。
長い絶望の1日目の淵底で「現実」に打ちのめされて、しかし「癩病」者として「生きる」希望が見い 出される、薄明の朝が始まろうとするシーンで終る。
隔離収容所=閉鎖病棟政策は、戦後の数年間で間違いである事は医学の発達もあり関係者にも周知の事 実であり、看護医療体制を牛耳った厚生省の怠慢は許されない。
しかし又一方でこの施設がハンセン病患者達の生活を社会のどん底で支えて来た歴史は負の遺産として 記憶しておくべきだろう。高松の宮記念館や資料館という施設も同居する。
園内で生まれた胎児を平気でホルマリン「瓶詰め」にしてつい最近まで陳列する等「医療専門職」が真 っ当な医術も施さない刑務所同然の蔑視政策がまかり通った記念資料館!

閑話休・・国会議事堂で鳴り響いた寺内タケシのエレキサウンドに踊り狂ったと言うこの国の政治屋ど も、国民の血税をいかに無駄金使う事だけに専念してるか狂態を曝け出したとイワンや!てめえの歳費 を誰が負担してるんだ?(エレキの神様が問題じゃない)
何が「今日ばかりは超党派で〜」だ、超党派で議論をしつくす事がアンタ等の仕事じゃないか!党利・ 党略ばかりで「談合」か「烏合の衆」のなじりあいじゃないか・・
あ〜あ、なら私めは来日してるロックギターの神様・ジェフ・べックを生で聴きたいよ〜!


もう7月一年の真ん中、いのち長き時代に 投稿者:かげろう 投稿日: 7月10日(日)14時28分39秒
夏至を過ぎて、七夕飾りも風や雨にちぎれ濡れています。
ロンドンでのテロ爆弾・死傷者多数には皆が驚いただろうが予測されないでもなかった。
現在この地球上で行われている戦争のもう一つの当事国、かつて七つの海を支配した大英帝国。ブッシ ュと堅く手を握り会う戦争指導者だ。
なんとも忌わしいテロルの季節になってしまった。憎悪は憎悪しか産み得ないのだ。
今も昔もキリスト教精神は、右の頬を打たれたら左の頬をさし出せと博愛を訴えた。イスラム教は、眼 には眼をと唱え全てはアラーの教えのままに従い行動する。けれども精神論では戦争にはならない、全 ては政治の貧困で指導者の問題でもある。
世界の指導者達が参集したイギリスの罪科のない国民が「むげに」犠牲になった。
我が国も当事者である、国交省はすぐさまテロ警戒を呼び掛けたが「他山の石」と感じる日本人はいか におはすや・・・?

鹿児島市の老人ケアハウスに暮らす徳田さんが110歳、男性長寿日本一をお祝されたそうだ。女性上 位は当然で112歳の福岡県の方だったか。小子高齢社会はもう到来している。
Mr.巨人・長島茂雄が脳梗塞の後遺症を引きずりながらファンの前に登場した。笑っている!感動的 だ!その観覧試合でサイテー巨人は又も負けた。
慶賀ありて訃報も又。悲報ばかりが生きた証ではないが惜しい人が次々とたおれてゆく。

天野滋(享年52歳)かつてNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)というフォークソングバン ドが東北は南部・一関から出現した。ご多聞に漏れず「さようなら」「夕暮れ時はさびしそう」のメロ ディーに甘く切ない青春の一時代を思い出すが、どうしてあんなに暗いのか引っ掛かる感じはあった。 「影ふみ」というアップテンポ曲を良く聴いた。
ただその抒情ラインには同じ南部花巻出身の宮沢賢治の様な土着の民衆性も合わせ持った「手弱女振り 」ではなかったか、さもありなん、必要な心象に違いないと納得はするが。(高村光太郎のようにも少 しどっしりと根を据えた抒情も好きだが)

近代詩の大御所・萩原朔太郎の長女、萩原葉子も亡くなったと聞くし、まともに読みこなせなかった女 流の倉橋由美子もついこの間逝ってしまった。
「やがて飢えた村人たちが/天使を捕えて鍋に入れました。煮ても煮ても天使の体は崩れません。/十 字架を一緒に入れて煮ると、天使はようやく煮崩れて、天使のスープ煮ができました。それを食べた人 々は阿呆の靴屋を筆頭に、生きている事を忘れるほど長生きしたそうです。/教訓;人は神によって生 くるにあらず」倉橋由美子『大人のための残酷物語』


今知りました。天野滋さんの死 投稿者:ココ 投稿日: 7月10日(日)23時05分45秒
忙しい毎日で新聞も良く目を通していなかったので、NSPの天野滋さんの亡く なった事を今まで、全く知りませんでした。「夕暮れ時はさびいしそう、、、」青春の真っ只中での歌 でした。そういえば、このよさん会のきっかけとなった同窓会のことで、度々訪れた日本青年館のロビ ーで、NSPの復活コンサートの看板を見て、「えっ、NSPが再結成したんだ。懐かしいなあ」と思 った事がありました。いま調べたら、2年前に復活したと書いてあったので、あの時、再び活動を始め ていたんですね。確かLPレコードがあるはずです。あまり、曲は思い出せないけど、悲しいです。
かげろうさん、「なぜ、あんなに暗いのか、ひっかかった」ですって、そこが魅力なんではないですか


甲子園予選母校の活躍 投稿者:八尾の兼六 投稿日: 7月14日(木)23時39分4秒
 小原さんよりメールアドレス変更の連絡を頂き有難うございます。
先月6月5日関東地区吾平会に出席した折、日高君に会いまして、43会に小鹿の焼酎を預けました
ので、次回の飲み会に皆さんで飲んでください。
 今日、母校鹿屋高校野球部が甲子園予選鹿児島大会の試合に臨みました。相手は鹿実で、おしくも5 対3で惜敗いたしました。3対1で8回を向かえ、同点にしたのですが、その裏に2点取られ
惜しくも敗れてしまいました。残念でした。1昨年は確か3回戦まで勝ち進んだと思いますが、
このところ強くなっていると、聞いていたので今年は期待していたのですが・・・・
いつか甲子園で校歌を歌いたいものです。
 8月13日の鹿屋での三星会に帰省される方はいらっしゃるのですか?
池崎君は帰省されるのでしょうね。ゴルフは頑張ってくださいよ。関西三星会から中礼会長が出席
されますので、よろしくお願い致しますよ。


梅雨が明け、土用の最中 投稿者:かげろう 投稿日: 7月23日(土)14時54分46秒
何かと「反日」政策で内憂を押さえ込もうとして来た中国の予想された通貨・人 民元のわずか2%切り上げ、したたかな商魂ですね。
揚子江・黄河流域に発祥した漢字文明以来、「砂上の楼閣」は彼の国の歴史だ。巨大に膨れ上がった一 党独裁の恐怖政治は、ある意味では漢民族が作り上げた見事な官僚の最高形態といってもいいだろう。 国家の幻想が生きている、地球上の国々のトップレベルと自然発生的な村落共同体の素朴さとの距離は 恐らく百年以上の開き、それが中国に混在している。
先日、アパレルメーカーへ若い中国人女性を人材派遣している年長の友人と飲んだ折に聞いた話。パス ポートの生年月日と実際のそれとが2年近い開きがあるのに平然としてるそうだ。戸籍制度が正確でな く、いくら日本の明治時代以前の封建社会みたいな貧しい村の出身者であっても、自分の生年月日位は 身分証明書には正確に記載するだろうと嘆いていた。
彼女達は2年間を日本で実習生として働き、賃金200万円位を持ち帰ると言う。
工場の寮生活から脱走して水商売に鞍替えする娘も後を立たず、不法就労で逮捕されて貰えるハズの賃 金もなく、借金地獄の故郷へ強制送還されるケースが多いそうだ。
現代版「女工哀史」の世界、是非はさておいて、偏屈=聞く耳を持たない自己主張の結果、可哀相だが 一銭も手に出来ないで帰郷する羽目になり、帰った田舎に安住出来なくて都会の底辺で身を持ち崩すし かないだろうという。

話が唐突に変わるが、今朝TV放映された番組で出演した武田鉄矢がこう話してた。
「津軽三味線を始めたきっかけは、3〜4年前に鹿児島の鹿屋に行って、ある料亭で食事をした。そこ に三味線が飾ってあり・・」
さて、津軽三味線を飾ってた「鹿屋の料亭」とはどこかちょいと興味が湧いた。海援隊という解散した フォークバンドが再結成、バチを振るって三味線の音色を聞かすきっかけになった場所がわが郷里の鹿 屋とは不思議に思うが・・


暑中見舞いの代わりに〜城ケ崎悟油絵 投稿者:かげろう 投稿日: 7月26日(火)00時56分16秒
今年も44年卒の城ケ崎悟君(君付けして御免なさい、画伯というか先生と呼ば れているんだが・・・)の個展案内が届きました。
台風が心配されるが、今週木曜開催、唐変木は土曜日の午後ゆっくりと鑑賞したいです。
また一段と抽象の世界が広がってきた様に葉書中の2枚の案内画からうかがわれます。
はて、今年はどんな風を運んでくださるや〜
誰かご一緒出来ますか〜新宿・京王百貨店6階ですが屋上ビアガーデンも昔は素晴らしかった!(すぐ に花より団子へ持ってゆきたがり、スマンです)


城ケ崎 悟 油絵展 投稿者:かげろう 投稿日: 7月27日(水)23時44分0秒
▼7月28日(木)〜8月3日(水)▼京王百貨店・新宿店6階:京王ギャラリー
通常は午後8時位まで大丈夫かな?、最終日は夕方4時閉場だそうです。

唐変木、今朝方に叔父貴が鹿児島市内の認知症施設で息を引き取ったと知らせを受けて、明日の午後帰 鹿します。
土曜日に城ケ崎さんの作品鑑賞を楽しみにしてたんですが、こればかりは避け難いです。
日曜日には昼からNPOボランティアや夕方の飲み会に夜のライブ等あったので、リタ〜ン出来そうで すがギャラリーに行く時間は取れそうもない。
8月の月〜水の3日間に何とかして顔を出すつもり。余裕のある皆さ〜ん寄って行って下さい!


絵を観て来ました 投稿者:ココ 投稿日: 8月 2日(火)11時09分2秒
7月31日、前日夜の信州・長野の戸隠でコンサート(仕事?)を終え、丁度お昼に東京へ着き、又夜は吉祥寺でコンサート(こちらは鑑賞)へ行くのに時間をもてあまして、新宿にいました。
本当に外を歩くのはつらい。そうだこんな時はデパートに限る!という定番のコース。
そこで京王デパートの城ヶ崎悟さんの絵を観て来ました。
本人には、在学中の接点もないし、私には絵の素養もないので、短い時間でしたがお話しました。現在は鹿児島市の草牟田にお住いのようで私が学生時代の下宿先の近くでした。彼はとても物静かで、温和な方で、絵の中のモチーフそのもの、といった感じの方でした。
ウーン、絵はとても入れられないですので、しっかり心に刻んでおきます。
皆さんは行かれましたか?


切取られた静物、あるいは想い出 投稿者:かげろう 投稿日: 8月 7日(日)01時46分15秒
最終日に新宿・京王ギャラリーに行き、城ケ崎さんの作品とご家族に再会しました。
今年は小品が中心だったので、不しつけな質問をしてしまった。物足りなくはないか、と。
画壇の評価は一応定評がされてる(これらの油絵の値段は相応の額なのだろう)が、僕なりにテーマを考えてみた。ホントはもっと別の次元にあるのだろうに。
 
 >窓に咲いたダーリア。窓から入って来る蝶。私の眺めている雲。高い雲。……三好達治「測量船」
画家がいかなる意図を持ってそれらの絵を描いたかを知る事は一つの鑑賞法だろうが、直感的に解る風景画や人物画や静物画などは、先見的にも納得ができる。
悟さんはある時期から作画スタイルを眼前の具象から抽象へと変容せしめていることで、現代美術界では特異な作品を物す画家として知られている様だ。
そこが例えば週刊新潮で有名だった、谷内六郎氏のメルヘン調の画風とは異なる芸術性を持ち得ていると思う。
九州という土着性から言えば原色の強みが結び付けられようが、彼の作品は全体にあわあわとした寒色系を多用しながらも不思議な<暖かさ>をかもし出している。
決して冷たいイメージが湧かないのはやはり人柄なのであろうか?色彩表現への挑戦がにじみ出ている。
昆虫や動物たち、人や景色が切り抜かれて風景画としてでなく、特注・特製の額縁という絵の窓の中に収まった時、郷愁味を帯びて静かに語りかけてくる。
窓辺に毒々しく咲く夏花・ダリアを配置して、三好達治は、時間の海を見ていた。唐突にひらひらひらと風に舞って蝶がその窓から飛び込んでくる。
たましいの故郷とまでは言わないが、失った記憶の象徴には違いない<蝶>の訪れ。清らかだった雲の彼方よりも遠い時間の流れを味わう。祈りの時か・・
城ケ崎悟のさんの作品という海辺にたたずんで、深夜、ひとりで真夏の物語を思い浮かべた。


于羅盆会 投稿者:蜉蝣子 投稿日: 8月10日(水)21時00分12秒
広島原爆投下の日も長崎原爆投下の日も過ぎた。60年目の記念日も何事もなく暑かった。
八月は弔いの月。お盆が近い。若い頃の吉本隆明が確か書いたうろ覚えの詩句を思い出す。
▼于蘿盆へ、于蘿盆へ、川で溺れて死んだ子が泣いて帰る…
元はウーラボンへとか言って古代ソグド人の宗教儀式らしい。大乗仏教にも古代インドの経典にもないらし。拝火教の遺習を取り込んだのか…
夕方に風の中で、「オショロサァが飛ん来やった」と昔は言った。お精霊さまが、トンボの背中に乗ってやって来るそうだ。だからお盆前は殺生するなと、迎え火を焚いても、死んだご先祖や仏さまが帰って来れなくなると。


ある飲み会のための飲み会 投稿者:ココ 投稿日: 8月11日(木)20時59分49秒
先日、渋谷のあるお店に数人で飲みに行ってきました。その名は「黒瀬」。

小田急沿線の3人組の飲み会での話しに、私も加わりました。その後、急遽連絡がとれた二人が加わり、みんなで集まるのにどうかなと下見に行ったというわけです。
さあこの後はどなたか、説明なり報告なりしてください。

ホント、急だったのでみんなには声かけられませんでした。ごめんなさい。
そして、私たちが集まる計画になるのかどうか?
よろしくお願いします。




飲み会のための飲み会? 投稿者:キッシュ 投稿日: 8月13日(土)00時13分28秒
ココさんの疑問への報告、説明にはなりませんが、正確には「飲み会のための飲み会の飲み会」です。三羽烏の単なる飲み会に大雨にも関らずココさんも参入し、某君が渋谷に加世田高校の同窓会で始めた気になる店が開店したとのことで、翌週、偵察に行こうとの話が急遽まとまり、飲んだ上の話で、疑心暗鬼であったにも関らず、六名が参加して看板もない店を探しあててしばし談笑しました。若干一名は、遅れての参加でした。とりあえずこれで落ち着いて当初八月末頃開催で進めていた同級会は、少し先送りにすることになったようです。年内には、開催したいと思っていますので、皆様のご出席ご協力をお願いしておきます。毎回、同じメンバーで「飲んだくれ」では、芸がないとの陰の声もありますので、良いアイデアがありましたら、ご提案をお願いします。(とりあえず気の知れた仲間が集まって飲むことに大いに意義があると思っていますが・・・・)


ただの徒然、青い幻燈 投稿者:かげろう 投稿日: 8月16日(火)02時06分14秒
60回目の終戦記念日だって、死んだ親父は「敗戦」と言ってたなあ、太平洋戦争の終結記念日。中国・支那への<侵略>戦争は12月8日の真珠湾奇襲作戦で始まった訳では無い!
我らが総理大臣・純ちゃんが滑稽に思えるのは、あるいは8/15靖国神社参拝が国の統治者(小泉首相は列記とした代表である)の使命と固執してしまた「おそまつさ」はここにある。純ちゃん劇場の始まりだった、馬鹿の愚骨頂〜、お笑いなら良かったが。
心ある国士、本当に国家に尽した英霊を崇拝するならば、もっと熟慮を重ねてほしい。
「歴史」とは事実に即した流れの中で相対的に記述され得る、という事位は認識しても良さそうだが、慶応では違たんかいな?感情的な自己中心に日本の国体も存続したろうか?

小さな谷川の底を写したニ枚の青い幻燈です。・・・
 「クランボンはわらったよ。 /クランボンはぷかぷかわらったよ。 /クランボンは跳ねてわらったよ。 /クランボンはかぷかぷわらったよ。」
上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。
そのなめらかな天井を、つぶつぶ、暗い泡が流れて行きます。
 「クランボンはわらっていたよ /クランボンはかぷかぷわらったよ。 /それならなぜクランボンはわらったの /知らない」
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつと続けて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光って斜めに上の方へのぼって行きました。

宮沢賢治の『やまなし』を引用した。(しかし突然、「クランボンは死んだよ /・・・殺されたよ /それならなぜころされた」とこの音楽的な詩調は変節してしまう。)
物語の始まりである。童話ならそれでよい。
ところで皆さんの誰か、水底から少年の頃に空を眺めようとしたことは無いですか?
窒息しかけながら僕は、祓川の澄み切った川底に潜りながら、夢想してました。ほぼ日がな狂った様に沈澱した事もあったっけ・・
所詮、人の人生なんてそんなものさ!ぷかぷか・かぷかぷと絶え間なく泡は出来ては消える。




アドバイスを 投稿者:敬愛 投稿日: 8月29日(月)23時03分53秒
今度10月に親父の20年祭(神道)があるので鹿児島に帰りますが、うちの職員から「こっちに売っていないような焼酎があったら買ってきてください。」と頼まれていますが、私がアルコールはあまり飲まないので焼酎のことは詳しくはありません。芋焼酎で「これは!」というものをご存知だったら教えて下さい。それにそれはどこで売っているかも。私のメルアドへ直接送っていただければとても嬉しいのですが。


焼酎のこと 投稿者:ココ 投稿日: 9月 1日(木)10時27分23秒
田舎では「小鹿」がお勧めのようです。
こちらではでまわっているのでしょうか。

先日こちらで書き込みしました かせだプロジェクト「黒瀬」(渋谷)は、たくさんの焼酎をそろえています。そこでインタネットで「黒瀬」と検索してみたら、いろんなものが手に入るようです。鹿児島で時間があるようでしたら 笠沙町に黒瀬杜氏の展示館ができていますので、実際に飲んでみるのも、いいのでは。ちなみに私は「すんくじら」という名前が面白くて、ここで買ってきて「富士美」(北方さんの喫茶店)へ持ち込んだのですが、だれもそのことは覚えていてくれませんでした。
その時 Tさんが宮崎の焼酎を持ってきてくれていました。

この夏 山形屋の地下でお土産に焼酎を買ってきましたが、友達もお酒はわかるけど、焼酎の味はよくわからないのと言っていて、喜んでくれたのかどうか。ここにもたくさん珍しいものが置いてありました。
私も味はよくわかりません。よさん会のみんなは集まるとじつによく、たーくさん飲んでいるようですが、アドバイスしてあげたら、いかがですか?


すんくじら? 投稿者:かげろう 投稿日: 9月 3日(土)14時21分21秒
はて?やっぱり覚えが無い、ココさんが差し入れは聞いたが、すんくじらに座ってしょつ瓶で注いでくれたんで無くお湯割りをコップでもらったからかも知れない。
僕は、「王子の狐」という地元ブランド(蔵元は勝沼、ラベルだけ関東一円の稲荷神信仰のメッカ=北区王子社に由来する伝説を宣伝)の赤・白ワインを持参したがね〜。
多分、誰も覚えちゃいめえ〜(すんくじら:住み・隅+抉る意、穴をほって住んだ古代の大隅隼人の偉大なる名残りの言葉だ。大隅・日向方言)
長年の酒の毒が脳に廻ってきて記憶の糸がぷっつりと切れたりする、とぜんね気もする。
  
  向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し 寺山修司・空には本
  
・夏の陽に灼かれて日々をあるばかり石は花々のようにひらかず 杉原一司・あくびする花
・花の動悸押花にせむ遺されし短き言葉と短き夏と  浜田到・架橋
・堪へがたければわれ空に投げうつ水中花 今年水無月の などかくは美しき 伊東静雄・夏花

「終戦のローレライ」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」「男たちの大和」・・映画界も賑やかですが、とうとう純ちゃん劇場、衆院解散・選挙に舞台は移り、刺客だマドンナだムネオに辻本だ罪ほろぼし・・と政策そっちのけでも面白くなってきた。郵政民営化は賛成だが公的事業の成果をいかに活かし継承するかが改革の本目ではなかろうか。巨大に膨れ上がった郵政事業は明治維新政府以来の政策。連動して税制も視野に入れにャア無んメエ、百年の計、次の百年!

今夏、法事で帰鹿した折に通夜〜葬儀場と飲み続けたのが「白玉の露」一升瓶。亡父が良く飲んだというは「朝日」。上京の前日に、酒のキンコーという量販店で買い求めた。他の何処よりも安く手に入った。
ちなみに、大隅焼酎ブランドの雄「魔王」と言えば入手困難になったが、同じ酒造所、一時仕込みは白玉の露も魔王も原種は同じ、鹿屋ではまだ容易。大根占の名酒。
臭い話しだが、高校の小便所の壁の落書きに「外にこぼすな、白玉の露」ってあった・・
人間のふん尿も野菜の肥料としていた時代の名残りか、単に汚すなという警告か。
朝日は大崎かな?朝日酒造だったと思うが(もう2本共飲み捨てた、白玉の露は土産にあげた)辛口。
「子鹿」はサッカー部同窓の上水樽君と三平でハーフ1瓶開けた。バレー部だった小島君が帖佐君持参の宮崎の焼酎の名前を電話で聞いてきた。かめ壺仕込みの黒だったが正確には?


(無題) 投稿者:敬愛 投稿日: 9月 6日(火)06時18分6秒
ココさん、かげろうさん 情報ありがとうございました。
参考にさせていただきます。

かげろうさんの「すんくじら」、「外にこぼすな、白玉の露」なつかしいですね。何十年振りに聞いたことばでしょうか。昔を思い出しました。後者は確かに校舎のトイレで見た記憶があります。

さてさて今、台風が鹿児島を直撃していますね。かなりの被害が出るのではないかと気になります。早く通りすぎて欲しいものです。  (関西よりK.I.がお伝えしました。)


台風一過、、、被害は? 投稿者:管理人 投稿日: 9月 6日(火)23時10分26秒
最近投稿をさぼっていたら、ここのところ皆さんの便りも少なそうですね。
頑張って地域の便りを寄せてください。
わが川越駅には、去年も話題になった日高の「巾着田」のポスターが貼りだされて
曼珠沙華の季節が近いことを思い出させるようになりました。

ところで、台風14号。気になって、妹(肝付町波見在住)に電話をしてみたところ
大きな被害はなかったようで、当方は一安心しました。
しかし、昨夜から停電で今日の夕方前に漸く復旧したようで、またかなりの田んぼは
冠水し、柏原のほうも被害が出ていたとのことでした。
垂水での土砂崩れなどもあり、やはり大変な爪あとを残した台風でしたね。


野分のあしたこそをかしけれ 投稿者:かげろう 投稿日: 9月10日(土)22時06分25秒
膨大な赤字国債を抱えたニッポン丸は、税金の潤沢な無駄遣いで衆院選挙のアラシ。
てっきり、平安王朝文学の金字塔・源氏物語に並び称される、枕草子かと思い込んでた標題「野分の〜」思い込みは結構多いから確認したらやっぱり!
どうしてそらんじてたんだろうと疑問だが、「野分の又の日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」と感じ入ったのは清少納言。
紫式部の源氏、花散る里の君が住処を、台風が過ぎて後まで見た感想かなあ。
時代を下った兼好法師は当然に、自然に打ちひしがれる同じ様な感想を抱いた由。

千年以上、過ぎてもその頃に大して変わらぬ自然環境、その環境を破壊してしまう程に幼稚な為政は続くのか〜?
むむむ〜210日を迎えた途端に、大型台風!毎年の事乍ら、荒れ狂う自然にまだまだ翻弄されねばならない人間のおろかさ、弱さ・・・
垂水市新城の小さな川が土石流を伴い大惨事になったが、海岸線の国道拡張にともない山側の崖っプチを削り猫の額ほどの平地を作り住まねばならない民衆の生活。
あるいは先祖代々荒れ地を開墾してきた大隅半島の英知が、わずかな年月で生活の至便さだけを頼りに、いとも簡単に金銭に変わり、あるは宅地造成へと変容してゆく。

いみじくもアメリカ南部を襲ったハリケーンはカトリーヌと命名されてたが、冷戦時代のソ連の古い女王エカテリナの逆襲ともこじつけてみたが、惨事の最中に起ったすさまじい窃盗は米国底辺に住みついた餓鬼のごとき命以外に捨てる物が無い貧者の群れ。
その弱さ・おろかさを救うのもまつりごとの王道と思う。
悲しいかな、富裕層の為にもてはやされ、ダンス音楽で生きてきた正当な継承者達・スウィング・ジャズの発祥地の子供ら。
誰のための政治か、与党・野党いう前に党利党略を超えた「改革」「国益」を考えたい。


「はやぶさ」、イトカワに到着 投稿者:管理人 投稿日: 9月15日(木)22時32分23秒
小惑星1998SF36こと「イトカワ」に向かって飛行中だった探査機Muses-C「はやぶさ」がついに
日本時間の9月12日10時「イトカワ」に到着しました。
2003年5月9日に内之浦から打上げられてから2年3ヶ月の宇宙旅行の末、いよいよ88万人の署名入り
プレートをその大地に打ち込んでくれそうです。
しかし、「はやぶさ」がはじめて送ってきた「イトカワ」の写真は、星の王子様の出身星という
ロマンチックなイメージを見事にぶち壊すジャガイモのような姿を晒してくれました。
それにしても、2年余りかけて約600mX300mの大きさしかない小惑星によくぞ到達したものです。

追伸:
今年も内之浦のロケット基地からは、日本で初めての大型の月探査機がH-UAロケットに
よって打ち上げられますし、X線天文衛星や太陽観測衛星など太陽や月・惑星、ブラックホール、
銀河などの観測用ロケットの打上げが計画されているそうです。
時間のある人は、昭和37年にはじめて打上げられた頃とは様変わりの基地をぜひ見てきてください。


「はやぶさ」おめでとう! 投稿者:birei 投稿日: 9月17日(土)22時20分58秒
「はやぶさ」到着おめでとう!!
「星の王子様に会いにいきませんか」キャンペーンに家族で応募して2年。
名前プレートも「イトカワ」に着いたのかと思うと何だかうれしい・

現実の中で根をはって しっかり生きているより、
ふんわりと夢見がちに生きているような気がしている。
だからといって、一所懸命生きていない というわけではない。
むしろ一所懸命生きていこうとするからこそ 
自分の先に夢や憧れや楽しみを用意する。
「星の王子様キャンペーン」の件も その楽しみの一つ。
「名前プレート」の事を考えると いろいろな思いがひろがる。
どんな空間だったのだろう?どんな旅をしたのだろう?
と〜い未来にひょっとして ひょっとして 何かと接触する事もあったりして?
いろいろ考える、いろいろ映像を思う、いろいろ想像をひろげる。
管理人さんのおっしゃるように よくぞ到達してくれたと・・・。
うれしい、やはり うれしい!!


星に祈りを 投稿者:蜉蝣子 投稿日: 9月19日(月)10時03分34秒
お久しぶりデスねbireiさん!はやぶさの到着を心待ちにしてたんですね。
氷のダッキショみたいなイトカワ…♪見上げてご覧 夜の星を 小さな星を〜と歌った九ちゃんが日航ジャンボ機で墜落死してはや幾星霜。20年も経った。あれから真相究明されぬままで、全日空や東亞や新幹線が客足延びたそうな。123便は欠番。今でも決して航空機に乗らない女性がいるが関係無いか。
H-2Aは種子島では?内の浦は科学研究専門に特化してるが、いつか宇宙の旅が始まるならやっぱ地元〜だなぁ。名前プレートは家の表札でなく電脳チップだろうか。日本の領土にするんかな?火星の土地売ります、と広告出した不動産屋は地球に近い小惑星には目もくれない。バオバブの樹を植えたら、まるで根生えた落花生だなぁ…


22〜27日国立で、池水君 投稿者:かげろう 投稿日: 9月20日(火)10時32分38秒
初秋、何となくもの憂い風が忍びこむ。
さてと今年もまた、池水宗太郎君所属の東京美術協会展が開催されます。旧住所宛の通知が遅れ、また所用で3日程忘れてm(_)m
今週22日の木曜から来週27日火曜まで。会場はJR国立駅南口のコート・ギャラリー国立です。
なお25日の日曜には恒例のパーティが午後4:00〜5:45迄予定。
♪いつ行くかなー?


秋物の器 観てきました 投稿者:ココ 投稿日: 9月26日(月)20時44分38秒
あっという間に一年経っていたんですね。
職場に近いので、今日、仕事の帰りに覗いてきました。
池水さんの今年の作品は形(線)がすっきり整っていました。色は落ち着いた茶色。ほとんど予約済みの赤いシールが貼ってありました。
一個だけ、大きな器が残っていましたが、昨年一回り大きいものを手に入れたので、やめました。
シーサーを制作して出品している先生が解説してくださり、「今年は中くらいの大きさの花瓶が、目新しいね。」ということでした。高級料理店で出てきそうな長角皿が素敵でした。
他に行かれた人はいますか?


ディスカバリー号のクルーの皆さんに会える! 投稿者:管理人 投稿日: 9月28日(水)23時08分47秒
日本惑星協会からこんなメールが届きました。
興味があったら申し込んでみて下さい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
去る8/9に帰還されたスペースシャトル・ディスカバリー号の宇宙飛行士の
皆さんが、下記の予定で東京アメリカンセンターに来られます。
実際にクルーの皆さんに会って話をして見ませんか?(同時通訳付)
 日時  10/1(土) 14:00〜16:00(予定)
 場所  東京アメリカンセンターホール
      (港区芝公園2-6-3 abc会館10F)
      地図http://tokyo.usembassy.gov/j/amc/tamcj-map.html
 参加クルー 
   アイリーン・コリンズ(Eileen Collins)船長(Commander)
   ジェームス・ケリー(James Kelly)パイロット(Pilot)
  スティーブン・ロビンソン(Stephen Robinson)ミッションスペシャリスト(MS2)
   アンドリュー・トーマス(Andrew Thomas)ミッションスペシャリスト(MS3)
   ウェンディー・ローレンス(Wendy Lawrence)ミッションスペシャリスト(MS4)
   残念ですが、野口聡一さんはこの会合には出席されません。
たくさんのみなさんに御参加いただきたいのですが、席に限りがありますので
必ず申し込みをお願いします。
申し込み方法
 メールかFAXで下記を記入の上、お申し込み下さい。
    氏名(ふりがな) 
    所属名・学校名(日本語・英語両方を記入)
    TEL・FAX・e-mail
 宛先   
   メール:TACprogram@state.gov
   FAX : 03-3436-0900
お申込者数が多い場合は、参加できない方にのみお知らせいたします。
尚、開始時間を2時に予定しておりますが、クルー一行のスケジュールが多忙の為
遅れる場合もありますので、あらかじめ御了承下さい。
(セキュリティチェックがありますので、お早めにいらしてください)


今年も、ぼっけもん、で〜っ 投稿者:かげろう 投稿日: 9月30日(金)23時31分19秒
ココさん、忙しい中を行ったんだねえ!近くでも中々時間を割くのも大変〜、他人事乍ら嬉しい。ご縁があらばこそ!おそい報告をバ以下に・・・
当の僕らは、日曜日10/25に、今年の新作を観させて頂いた。
三星会の幹事を引き受け続けてくれてる小原君と、年中多忙な児島君の三人。池水君の話では、10数名に案内状を出したとか・・・まあね、都内に住んでる人も国立まで足を運ぶには躊躇するかも知れないし、何よりも日曜日午後でお彼岸で3連休の人もいたかも・・

色んな傾向の創造作品を、和気あいあいと発表し続けて行くことの楽しさを垣間見させてもらった。
というのは、会員総会の後に、展覧会会場でパーティと相成り、場違いな僕ら三人も参加させて頂き、表彰式と共に創作の動機や情況などを本人から少しだが説明があったからだ。わはは、堂々とビールをいただきながら〜
で、勧誘のご本人の新作説明は、新しい試みとして「花弁を焼成してみたかった」と青紫の桔梗の花を散らした信楽の説明。
ふ〜ん、青い釉薬をどうして赤茶の土に乗せたんだろ?もしかして油絵の具か青いペンキが・・・なんて不審に思った程に鮮やかな青が(ホント?)・・
「かえでの葉っぱは意外にしっかりと紋様が付いたが薄い花弁は難しかった」と池水君・・
苦心作は花瓶とココさん推薦のやや大振りの陶板皿とか〜
「気の合った仲間と自慢のつまみを囲んで乾杯の時に使いたい!」と、いかにも彼らしい楽しみ方です。

〜で終わりで無く、やっぱり場所を変えて駅隣の居酒屋へ〜。通常は辞退すべきでしょうが
どうも。やんちゃな仲間でもあった気易さからか、誘われるままに、まるで会員の様に真ん中の席に陣取った「ぼっけもん」〜!
そして隣席させて頂いたは会の中の超有名人・世田谷で自ら窯を築き陶芸教室も開いておられる駒ケ嶺独楽(こまがね・こらく)さん。
池水君が、率先して遠慮会釈のナイ僕らを持上げてくれるモンだから、氏みたいな陶芸家から悠々自適に絵をものする美術家たちまで、仲が良いことで〜と褒めちぎってくれ・・・
考えてみれば、車椅子の元会長や結構なお年を召したご婦人も見受けたし、山登りを楽しむ絵の作者もいる。散歩のよもすがら見つけた近所の気に入った風景を水彩で描き出した退職者もいる。

芸術を愛して自らも創造する精神の賜物をこうして展示する人々は概して若い精神を共有し続けるものなんだろう。
過去に偉大なる芸術家が孤独の中で傑作を創造した時代は前世紀までのことか、21世紀の芸術はこうしたわいわいの中からも傑出して来るのかも知れない。



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